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鴨長明(かものちょうめい)

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年月日 できごと 写真
1155 鴨長明(かものちょうめい、1155年 情報源のサイトへ
1180 平安遷都から約 情報源のサイトへ /DSCF02771.jpg /header2.jpg
1180 頼朝の挙兵に討たれる。<『方丈記』鴨長明は当時の人は「西国に所領を持ちたい」と価値観がそちらに向いていたと伝えているので、実際は和泉国の領主だったのではないでしょうか? 情報源のサイトへ /masako.jpg /anyouin_top.jpg
1180 年の水無月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり 情報源のサイトへ
1180/1 なりとも、とくうつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり 情報源のサイトへ
1180/2/30 も過ぎました。周利槃特は、自分の心の塵、心の垢をすっかり除くことができ、ついに阿羅漢になりました 情報源のサイトへ
1180/3 晦日頃、僧の蓮胤(鴨長明本人)が、日野外山の庵にてこれを書きました」 情報源のサイトへ
1200/8 以降、正治後度百首和歌を召す。対象となった歌人は藤原雅経、源具親、鴨長明、宮内卿ら院の近臣を中心とする新人のグループで、この時期、院は熱心に新たな歌人を発掘し、周囲に仕えさせることで、後に新古今歌人群のなかにあって、九条家グループ、御子左家グループと鼎立する院近臣グループの基盤がここに整ったといえる 情報源のサイトへ
1201/7 和歌所を再興する。寄人は藤原良経、慈円、源通親、源通具、釈阿(俊成)、藤原定家、寂蓮、藤原家隆、藤原隆信、藤原有家(六条藤家)、源具親、藤原雅経、鴨長明、藤原秀能の十四名(最後の三名は後に追加)、開闔は源家長である 情報源のサイトへ /DSCF04661.jpg /kodo1102.jpg
1212 鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。鎌倉時代、1212年 情報源のサイトへ
1212 成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』 情報源のサイトへ
1216 以前)、歌集として『鴨長明集』 情報源のサイトへ

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