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静御前(しずかごぜん)

 

那須与一(なすのよいち)

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生没 1169年年~1169年年年
カテゴリ 平安時代の人物
武士・軍人
主な
できごと
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静御前   那須与一
年月日 できごと   年月日 できごと
1185/2/13 鎌倉京都の時政から静を送る旨の返事が届く。情報源のサイトへ      
1185/3/1 静、母の磯禅師と共に鎌倉に到着。安達新三郎の屋敷に入る情報源のサイトへ      
1185/3/6 すでに京都で時政に調べられたが、はなはだ信用できないとして再び問注所の役人に義経の行方を問われる。静「吉野の山中ではなく、その僧坊である情報源のサイトへ      
1185/3/22 静再び子細を尋ねられるも、義経の行方は知らないというだけであった。義経の子を妊娠しているので出産ののち帰すとの沙汰情報源のサイトへ      
1185/4/8 頼朝と政子が鶴岡八幡宮に参拝。舞を行うよう控えの間から静を廻廊に召し出す情報源のサイトへ      
1185/5/14 工藤祐経・梶原景茂・千葉常秀・八田重・藤原邦通ら御家人たちが酒を持って静の宿所に向かい宴会を催す。磯禅師が舞を舞う情報源のサイトへ      
1185/5/27 夜、頼朝の長女大姫の依頼により、南御堂に舞を納めて禄を給う。情報源のサイトへ      
1185/7 静男子を出産する。これは豫州(義経)の息子である情報源のサイトへ      
1185/7/29 (閏は2度目の情報源のサイトへ      
1185/7/30 桜より癒されたといわれている。情報源のサイトへ      
1185/8/30 桜」ともいわれおり山中深く美麻の丘に一本佇む姿は「神聖な桜」とも伝えられ、修行僧が静御前の魂を供養し情報源のサイトへ      
1185/11/17 義経が大和国吉野山に隠れているとの噂があるので、吉野山の執行(修行)僧兵によって捜索するも見つからなかったところ、夜10時頃、義経の妾の静が藤尾坂を下り蔵王堂にたどり着く。その姿がいかにも怪しいので衆徒達はこれを見咎め、執行坊に連れてきて詳細を問う情報源のサイトへ      
1185/11/18 静の証言によって義経を探す為、吉野の大衆はまた雪を踏み分け山を捜索する。吉野執行は静を大変気の毒に思い、充分労ってから鎌倉へ差し出す事になった情報源のサイトへ      
1185/12/3 目に吉野山に着きました。そこで五日間逗留し、それを最後にお別れしました情報源のサイトへ      
1185/12/15 北条時政から鎌倉へ送られた手紙より静の証言。「豫州が都を出て西海へ赴いた明け方、一緒に連れ立って大物浜に到着しました情報源のサイトへ      
1185/12/15 都落ちした義経の一行が九州へ渡るべく大物浜(尼崎市)から乗船するが、暴風雨によって難破し一行は離散。義経に従っていたのは源有綱・堀景光・武蔵坊弁慶並びに妾の静のみであった情報源のサイトへ      
1186 源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経がを落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れへ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ北条時政に引き渡され、文治2年情報源のサイトへ      
1186/7/29 静は男子を産んだ。安達清恒が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった情報源のサイトへ      
1186/9/16 静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという情報源のサイトへ      

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