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足利義輝(あしかがよしてる)
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| 年月日 | できごと | 写真 |
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| 1546 |
足利義輝、室町幕府十三代将軍に就任する |
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| 1546 |
(天文15)に管領・細川晴元(1514-1563)との戦いに敗れた12代将軍・ |
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| 1546/11 |
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| 1546/12 |
義輝はわずか11歳にして、父から将軍職を譲られる。このときの将軍就任式は亡命先の近江坂本で行なわれ、元服時の烏帽子親は六角定頼が務めた(初名・義藤)
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| 1548 |
義晴は細川晴元と和睦して |
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| 1549/6 |
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| 1550 |
このため、 |
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| 1551/3 |
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| 1552 |
細川氏綱を管領にするという条件で |
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| 1552/1 |
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| 1552/1 |
義輝と和睦し、将軍御供衆となる。
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| 1552/10 |
足利義輝は霊山城 ( |
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| 1553 |
長慶が将軍足利義輝を追放し |
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| 1553/7 |
足利義輝は翻意し細川晴元軍と組み |
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| 1554 |
大友氏から鉄砲と火薬の秘伝書(『鉄放薬方并調合次第』)を手に入れたり
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| 1557/10 |
正親町天皇 |
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| 1558 |
長慶と和睦して |
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| 1558 |
13代将軍・ |
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| 1558/5 |
足利義輝が六角義賢の援助の下、朽木から坂本 ( |
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| 1558/6 |
北白川、如意岳 ( |
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| 1558/6 |
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| 1558/11 |
足利義輝も |
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| 1558/11/30 |
岩倉城の織田信安を追放し |
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| 1558/12 |
正親町天皇 |
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| 1560 |
ガスパル・ヴィレラにキリスト教の布教を許すなど、新しい物に目敏かったようだ。ただし、これも直前に三好氏がその領国内においてキリスト教の布教の自由を認めていた事に留意すべきである
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| 1560 |
などの戦国大名どうしの抗争の調停を頻繁に行なって、諸大名に将軍の存在を知らしめたのである。
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| 1561/3 |
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| 1562/3 |
和泉国久米田 ( |
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| 1562/6 |
足利義輝は帰京。
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| 1564 |
長慶自身が病死したことをうけ政敵が消滅した義輝は、いよいよ幕府権力の復活に向けてさらなる政治活動を行なおうとした。
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| 1564/3 |
足利義輝は |
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| 1564/11/30 |
将軍 足利義輝が |
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| 1565 |
正親町天皇は |
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| 1565/5 |
雨は |
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| 1565/5/1 |
13代将軍・足利義輝から『義』の字を偏諱されて『義重』と改名し義輝の奏請で |
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| 1565/5/19 |
昼間に、三好義継と松永久通は約1万の軍勢で将軍・足利義輝の居る二条御所を包囲して襲撃し、義輝は奮闘も虚しく殺害されました。足利義輝は上泉信綱(かみ |
