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観阿弥(かんあみ)

 

世阿弥(ぜあみ)

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生没 1333年年~1384年
カテゴリ 室町時代の人物
芸術家・思想家
主な
できごと
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観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)に関する本・DVD

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観阿弥   世阿弥
年月日 できごと   年月日 できごと
      1363 /貞治情報源のサイトへ
      1375 観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまった。以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになった情報源のサイトへ
      1378 祇園会では将軍義満の桟敷に世阿弥が近侍し、公家の批判をあびている(「後愚昧記」)。情報源のサイトへ
      1384 観阿弥が没して世阿弥は観世太夫を継ぐ。情報源のサイトへ
      1400 ごろ成立か)『至花道』が著されたのもこのころである。義持は猿楽よりも田楽好みであったため、義満のころほどは恩恵を受けられなくなる情報源のサイトへ
      1422 観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、自身は出家した。しかし将軍足利義教は、元雅の従兄弟にあたる観世三郎元重(音阿弥)を重用情報源のサイトへ
      1429 醍醐清滝宮の楽頭職罷免情報源のサイトへ
      1430 など、世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われていった。情報源のサイトへ
      1432 長男の観世元雅は伊勢安濃にて客死してしまう。世阿弥自身も情報源のサイトへ
      1434 佐渡国に流された。情報源のサイトへ
      1436 金島書』を著すが、その後の消息はよく分かっていない。晩年には大和国の禅寺・補巌寺に帰依していており、彼と妻の名を記した納帳が発見されている(香西精『世阿弥新考』)情報源のサイトへ
      1443 没したことになっている。情報源のサイトへ
      1443 後に帰洛したとも伝えられる。「観世小次郎画像賛」によれば嘉吉三年情報源のサイトへ
      1443 没隠しカテゴリ: 文人関連のスタブ情報源のサイトへ
      1443/9/1 ?)は日本の室町時代初期の猿楽師。情報源のサイトへ

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