年表トップ > 室町時代の人物 > 細川勝元
ウェブサイト上の情報を調べて見出し情報をまとめた検索結果ページです。事実が正確に並べられた年表ではありませんのでご注意下さい。
細川勝元(ほそかわかつもと)
| 生没 | 1430年~1473年 | カテゴリ | 室町時代の人物 武士・軍人 |
|---|---|---|---|
| 主なできごと |
1442年 父の持之が死去したため、13歳で家督を継承し... 1466年 実子細川政元の誕生後、豊久を廃嫡して仏門に入... 1466年 足利義政に実子の足利義尚が誕生して足利将軍家... 1467年 正月に、将軍義政が畠山義就を室町第に招聘して... 1473年 山名宗全が死去し |
||
| ライバルや仲間 | |||
Ads by Google
| 年月日 | できごと | 写真 |
|---|---|---|
| 1430 |
細川持之の嫡男として生まれる。幼名は聡明丸
|
|
| 1442/8 |
父の持之が死去したため、13歳で家督を継承した。このとき第7代将軍・ |
|
| 1442/8 |
細川宗家当主となる。将軍 |
|
| 1445 |
畠山持国( |
|
| 1445/3/29 |
幕府の管領に就任。
|
|
| 1447 |
同じく熙貴の娘を幕府管領の細川勝元に嫁がせて、大内氏や細川氏と縁戚関係を結ぶ。
|
|
| 1449/10/5 |
管領を辞任。
|
|
| 1452/11/26 |
幕府の管領に再度就任。
|
|
| 1454 |
持富派の被官(家臣)が義就の家督相続に反対して叛逆を起こし、持富の子・畠山弥三郎(やさぶろう)が跡目を継ぐことになります。弥三郎の後見には、細川勝元が立っていました
|
|
| 1454 |
|
|
| 1459/5 |
義就が |
|
| 1466 |
さらに勝元は勘合貿易の問題から大内教弘、河野通春らと敵対していたが、宗全はこれを支援するなどしたことから、細川と山名の対立構造が生じ始めた。また、はじめ継嗣がいなかった勝元は、宗全の子・山名豊久を養子にしていたが、文正元年
|
|
| 1466 |
|
|
| 1466 |
|
|
| 1466 |
』といいます。 |
|
| 1466/12 |
追放されていた |
|
| 1467 |
正月に、将軍義政が |
|
| 1467/1 |
義政に強請して勝元が支援する |
|
| 1467/1/2 |
義政は正月の管領となっていた将軍の管領邸への訪問を中止し、細川勝元や |
|
| 1467/1/17 |
|
|
| 1467/1/25 |
細川党による |
|
| 1467/3/3 |
細川勝元、京極持清らは上巳の節句に御所に参賀出仕せず密かに兵を集め、諸国に呼びかける。
|
|
| 1467/5/20 |
|
|
| 1467/5/25 |
天皇を擁した宗全に対して、勝元は幕府を占領して将軍を擁立し
|
|
| 1467/5/26 |
|
|
| 1467/6/1 |
将軍義政は弟義視に牙旗( 将軍御座所の旗、錦の御旗 )を与えて |
|
| 1467/9 |
頃には |
|
| 1468/2 |
から死去する
|
|
| 1468/10 |
義政が伊勢貞親を復職させると、勝元は義尚を、宗全が義視を支持する立場に変わるなど、戦況も変わってゆく。このような中で
|
|
| 1472 |
宗全に和平交渉を試みるが、決裂する。
|
|
| 1472 |
|
|
| 1473 |
カテゴリ: 細川氏 | 守護大名 | 室町時代の人物 | 1430年生 | 1473年没
|
|
| 1473/3 |
宿敵である宗全が死去して優位に立ったのも束の間、自身も後を追うように
|
|
| 1473/3 |
|
|
| 1473/5 |
続いて細川勝元が死ぬと、急速に諸侯の間に厭戦気分が広がっていきました。 |
|
| 1473/5/11 |
死去した。享年44
|
|
| 1473/5/11 |
細川勝元44歳であったという。どのような戦国の雄でも、「天命には勝てず」、歴史から学ぶべきことは実に多い
|
