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紫式部(むらさきしきぶ)

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紫式部(むらさきしきぶ)に関する本・DVD

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年月日 できごと 写真
978 ?~ 情報源のサイトへ
978 説(安藤為章・与謝野晶子説)などが混在し没年についても『小右記』 情報源のサイトへ /4003103823.jpg /utura.jpg
978 頃生 - 情報源のサイトへ
978 0941-5)。 情報源のサイトへ
998 頃、親子ほども年の差がある山城守藤原宣孝と結婚し 情報源のサイトへ
999 一女・藤原賢子(かたいこ・けんし)(大貳三位)を儲けたが、この結婚生活は長く続かずまもなく宣孝と死別した。 情報源のサイトへ
1006/1/31 より一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女、のち院号宣下して上東門院)に女房兼家庭教師役として仕え、少なくとも同 情報源のサイトへ
1007/1/29 紫式部の本名は不明であるが、『御堂関白記』の寛弘4年1月29日 情報源のサイトへ
1007/2/19 条において掌侍になったとされる記事のある「藤原香子」(かおりこ/たかこ/こうし)との説もある[1]。但し、この説は仮定を重ねている部分も多く推論の過程に誤りが含まれているといった批判もあり[2]、仮定の域を出るものではない 情報源のサイトへ
1008 また生没年も伝わっていないが資料・作品等から寛弘5年 情報源のサイトへ
1008 30歳位と推測されるので、逆算して 情報源のサイトへ
1013/5/25 藤原実資の日記『小右記』長和2年5月25日 情報源のサイトへ
1014 説を唱える岡一男説や光源氏が「太上天皇になずらふ」存在となったのは紫式部が 情報源のサイトへ
1014/6/25 条で「『越後守為時女』として皇太后彰子と実資の取り次ぎ役を務めた」との記述が紫式部で残された最後のものとなる。よって三条天皇の長和年間(1012- 情報源のサイトへ
1016 頃没と推定されている[3]。 情報源のサイトへ
1016 ?)は平安時代中期の女性作家、歌人である。『源氏物語』の作者と考えられている 情報源のサイトへ
1016 没したとするのが通説だが、異見もある。 情報源のサイトへ
1016/2 本紀の御局 情報源のサイトへ
1016/6/6 条にある父・為時の出家を近しい身内(式部)の死と結びつける説が有力であるが 情報源のサイトへ

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