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秋山好古(あきやまよしふる)
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| 年月日 | できごと | 写真 |
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| 1859 |
伊予松山城下(現・愛媛県松山市歩行町)に松山藩士・秋山久敬、貞の三男として生まれる。秋山家は足軽よりも一階級上の位で家禄10石程の下級武士(徒士身分)だった
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| 1859/1/7 |
秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日
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| 1873/12 |
名古屋久屋町(現・久屋町1丁目)に「愛知県養成学校」を開校
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| 1874/8 |
法華寺町(現・東桜2丁目)に移転
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| 1875 |
大阪師範学校受験。
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| 1876 |
大阪師範学校卒業。大阪府北河内(寝屋川市堀溝)58番小学校、名古屋師範学校附属小学校勤務
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| 1876/7 |
で、そして
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| 1876/8 |
「愛知県師範学校」と改称
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| 1877 |
陸軍士官学校(旧制3期生)に入学し、卒業後は東京鎮台に配属される。
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| 1877/2 |
本町1丁目(現・丸の内2丁目)に移転
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| 1877/3 |
東京の陸軍士官学校に入校し名古屋を離れます。ということから秋山好古が赴任した「師範学校」は法華寺町(現・東桜2丁目)の地となります
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| 1879 |
陸軍士官学校騎兵科を卒業し少尉となります。当時21歳です
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| 1879 |
秋山好古の官歴を拝見しますと、好古は1879年
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| 1879 |
陸軍士官学校卒業。任陸軍騎兵少尉
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| 1883 |
(25歳)
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| 1883 |
任陸軍騎兵中尉。陸軍大学校(1期)へ進む
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| 1886 |
親任とは、1886年
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| 1886 |
高等官官等棒給令に規定された勅任官のなかから、天皇の親任によって叙任されます。内閣総理大臣・各省大臣のほか、台湾総督と並び陸海軍大将は親任官となります
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| 1886 |
任陸軍騎兵大尉。
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| 1886 |
(28歳)
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| 1886/8 |
「愛知県尋常師範学校」と改称、武平町に移転
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| 1887 |
サン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の補導役としてフランスへ渡り、騎兵戦術の習得に努める。
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| 1891 |
フランスに留学しましたので進級が其の分だけ見送られています。また、 |
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| 1892 |
任陸軍騎兵少佐。
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| 1892 |
(34歳)
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| 1893 |
騎兵第1大隊長。佐久間多美子と結婚
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| 1894 |
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| 1895 |
任陸軍騎兵中佐。
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| 1895 |
(37歳)
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| 1897 |
(39歳)
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| 1897 |
任陸軍騎兵大佐。
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| 1897/4 |
東芳野町に移転、再び「愛知県師範学校」に改称
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| 1899/4 |
「愛知県第一師範学校」と改称
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| 1899/7/4 |
ビアホールがはじめて登場しました。
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| 1902 |
(44歳)
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| 1903 |
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| 1903 |
小笠原長生がロシアの艦長と対面した時に、艦長室にきれいな女の写真が飾ってあったので、艦長に向かって
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| 1903/1 |
も早く自分の帰ることを首を長くして待っている。だから戦争などということはおれは嫌いだ
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| 1904 |
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| 1905 |
より
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| 1905/1/25 |
まだ暗いころである。午前三時には、最前線の黒林台に出してある前哨(約二個中隊)が、敵の大きな兵力の夜襲をうけて退却のやむなきに至った旨の電話をきいたときから、好古は、(これは想像以上の事態がおこりそうだ)と、直感した
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| 1905/1/25 |
ロシア軍は本格的な反攻作戦に転じ、日本軍最左翼に布陣する秋山好古支隊に襲いかかります。世に云う、 |
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| 1907 |
時に森山慶三郎が秋山好古に何かの話から
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| 1909 |
任陸軍中将。
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| 1909 |
(51歳)
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| 1915 |
発行された、それはそれはとても分厚い |
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| 1915 |
刊)を入手
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| 1915 |
近衛師団長。
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| 1915 |
刊)を入手”
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| 1916 |
任陸軍大将。
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| 1916 |
(58歳)
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| 1916/11/16 |
秋山好古は陸軍大将となります。ついに軍令部における最高指揮官となりました
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| 1920 |
陸軍教育総監となり、陸軍の最高幹部の一人となる。
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| 1923 |
予備役に編入(元帥位へ推薦の話もあったが本人が固辞した)。
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| 1924 |
北予中学校(現在の松山北高校)校長就任。退役陸軍大将の仕事としては全くの異例(格下)であったが、本人の強い希望だったと言われる
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| 1930 |
校長辞任。糖尿病による心筋梗塞により東京の陸軍軍医学校で永眠
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| 1930 |
没隠しカテゴリ: 人物関連のスタブ項目
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| 1930/11/4 |
午後7時10分、秋山好古は息をひきとりました。(享年72歳)
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| 1930/11/4 |
日本の陸軍軍人。陸軍大将従二位勲一等功二級
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