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橘諸兄(たちばなのもろえ)

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年月日 できごと 写真
710/1/7 従五位下 (27) 情報源のサイトへ
711/12/2 馬寮監(めりょうげん)(28) 情報源のサイトへ
723/1/10 正五位上 (40) 情報源のサイトへ
724/2/22 従四位下 (41) 情報源のサイトへ
729/3/4 正四位下 (46) 情報源のサイトへ
730/9/27 兼 催造司の監(かみ) (47) 情報源のサイトへ
731/8 参議 (48) 情報源のサイトへ
732/1/7 従三位 (49) 情報源のサイトへ
736 弟の佐為王と共に母・橘三千代の姓氏である橘宿禰を継ぐことを願い許可される。これ以後、橘諸兄と名乗る 情報源のサイトへ
736 敏達天皇の5世(もしくは4世)子孫で諸王であったが、天平8年 情報源のサイトへ
736/11/11 臣籍降下し、橘宿禰の姓氏を賜る。 (53) 情報源のサイトへ
737 疫病の流行によって藤原四兄弟が相次いで亡くなり、続いて舎人親王を初めとして多くの政府高官が死亡して議政官がほぼ全滅し、出仕出来る公卿は従三位左大弁諸兄と同大蔵卿鈴鹿王のみとなってしまった。そこで急遽 情報源のサイトへ /C-17.jpg /C-5.jpg
737/8/4 鈴鹿王を知太政官事(太政大臣と同格で皇族であることのみが任用条件)に任命して応急的な体制を整えた。翌 情報源のサイトへ
737/8/24 諸兄を次期大臣の資格を有する大納言に 情報源のサイトへ
738/1/13 諸兄は正三位右大臣に任命されて一躍朝廷の中心的地位に出世する事になった。 情報源のサイトへ
740/11/21 正二位 (57) 情報源のサイトへ
743/5/5 従一位左大臣になっている。 情報源のサイトへ
746/4/5 兼 大宰帥 (63) 情報源のサイトへ
749 正一位に陞階。生前に正一位に叙された人物は日本史上でも数少ない 情報源のサイトへ
749/4/14 正一位 (66) 情報源のサイトへ
750/1/16 朝臣の姓を賜る (67) 情報源のサイトへ
753 左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等集りて万葉集をえらび給」とあり、これが元暦校本の裏書に、またある種の古写本の奥書にもはいったことが、一定の信憑性をもつものである。のちに、仙覚は橘、大伴家持の2人共撰説を唱えるにいたった 情報源のサイトへ
755 聖武上皇の病気に際して酒の席で不敬の言があったと讒言され、同 情報源のサイトへ
755 孝謙天皇の時代にはいると藤原仲麻呂(恵美押勝)の発言力が増し、天平勝宝7年 情報源のサイトへ
756/2/2 辞職を申し出て、以後隠居し、同 情報源のサイトへ
757 カテゴリ: 橘氏 | 万葉歌人 | 飛鳥・奈良時代の皇族 | 684年生 | 757年没 情報源のサイトへ
757/1/6 亡くなった。 情報源のサイトへ
757/1/30 奈良時代の政治家・元皇族。敏達天皇の後裔で大宰帥美努王の子 情報源のサイトへ

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