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樋口一葉(ひぐちいちよう)

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樋口一葉(ひぐちいちよう)に関する本・DVD

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年月日 できごと 写真
1872 東京府第二大区一小区幸橋御門内(今の 東京都千代田区)で生まれました。幼い頃から利発で、下谷区上野黒門町(今の東京都台東区上野)にあった私立青海学校小学高等科第四級を主席で卒業するなどしましたが、「女に学問は不要」という母の意見により、11歳以降は学校教育を受けることはありませんでした 情報源のサイトへ
1872 近代女性作家の第一号と言われる樋口一葉(本名:樋口奈津)は、明治5年 情報源のサイトへ
1876 免職となる。その後は不動産の斡旋等で生計を立てている 情報源のサイトへ
1877 本郷小学校に入るが、幼少のために続かず、吉川富吉が始めた私立吉川学校に入学した。 情報源のサイトへ
1883 下谷区上野黒門町にあった私立青海(せいかい)学校小学高等科第4級を主席で修了後退学、旧派の歌人和田重雄に和歌の指導を受け、さらに進んで1886(明治19)年には、中島歌子(なかじまうたこ=1845〜1903。江戸〔現東京〕生まれの明治時代の歌人 情報源のサイトへ
1886 学業を断念せざるを得なくなったことを不憫に思った父の計らいで、明治19年 情報源のサイトへ
1886 14歳の時、一葉は小石川安藤坂(東京文京区本郷)にあった歌塾(萩の舎)へ弟子入りし、和歌や書道、古典などを学び始めます。ここで先輩であった三宅花圃が女流作家として認められたのに触発され、一葉も小説家として身を立てることを決心し、東京朝日新聞の専属作家であった半井桃水(なからいとうすい)に弟子入りすることになります 情報源のサイトへ
1887 医学博士中島襄吉の新居として建てられ、空家であったものを鴎外が借り受け 情報源のサイトへ
1887 から没年までの書き記した一葉の日記は、私小説風できわめて価値が高いと評価されている。 情報源のサイトへ
1888 戸主であった長男の泉太郎が死去し、父を後見に相続戸主となる。 情報源のサイトへ
1889 父も死亡、一葉は経済的に困窮、母と妹ら女3人で、東京・本郷(現文京区)に移転する。 情報源のサイトへ
1890 萩の舎の内弟子として中島家に住む。 情報源のサイトへ
1890/8/30 執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、図書館に通い詰めながら処女小説「闇桜」を桃水主宰の雑誌「武蔵野」の創刊号に発表した 情報源のサイトへ
1891 19歳の時でした。 情報源のサイトへ
1891/4 東京朝日新聞の小説記者半井桃水(なからいとうすい=1860〜1926)。長崎県壱岐対馬生まれ小説家 情報源のサイトへ
1892 一葉のペンネームで『武蔵野(むさしの)』に処女作『闇桜(やみざくら)』を発表する。〕 情報源のサイトへ
1892/9 「甲陽新報」) 情報源のサイトへ
1893/7 から 情報源のサイトへ
1894 このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(前述の渋谷三郎)が求婚してくるが拒否する。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いたが1894年 情報源のサイトへ
1894/4 まで下谷・龍泉寺(したや・りゅうせんじ)(現台東〔たいとう〕)竜泉)で荒物(あらもの=日常生活に使う雑多な品物である「ざる」や桶〔おけ〕・はたき・ほうきなどの雑貨をいう)・駄菓子(だがし=粟〔あわ〕・麦などの雑穀〔ざっこく〕や黒砂糖でつくった、素朴で安価な雑菓子)屋を開業するが、ここでの商売に対する厳しさと下の子供たちの日常性格に接した経験が、後の、東京・下谷・吉原近くの大音寺前を舞台に、思春期の少女美登利の微妙な心理の動きを繊細(細やか)に描いた不朽(ふきゅう=すぐれていて、いつまでも朽ちないこと。後世まで長く残ること)の名作『たけくらべ』構想の糧となる 情報源のサイトへ
1894/12 「大つごもり」を「文學界」に、翌 情報源のサイトへ
1894/12 薄幸の少女お峰の女中生活の哀感を大みそかを背景に描く『大つごもり』、また翌 情報源のサイトへ
1895/1 から「たけくらべ」を7回にわたり発表し、その合間に「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる。 情報源のサイトへ
1895/1 から『たけくらべ』〔を、1893(明治26)年に島崎藤村(1872〜1943。長野県生まれの詩人・小説家 情報源のサイトへ
1895/5 激しい女の生き様を描いた『にごりえ』 情報源のサイトへ
1895/9 酷薄な夫にもただ耐えるほかはない女主人公を通し、封建的な社会に生きる女性の悲惨を描き、男尊女卑の当時の時代風潮に挑戦した『十三夜』 情報源のサイトへ
1895/12 外、女が1人生き抜くために閉ざされた人生を打ち破ろうとした『わかれ道』 情報源のサイトへ
1896 雑誌「文学界」に連載していた小説「たけくらべ」を雑誌「文藝倶楽部」に掲載したところ、森鴎外、幸田露伴らから絶賛され、女流文学家として一躍注目を集めることとなりました。ところが 情報源のサイトへ
1896 月、「国民之友」) 情報源のサイトへ
1896 没 | 樋口一葉 情報源のサイトへ
1896 入るや一葉は、結核のために倒れ、春以来の病状が急速に悪化 情報源のサイトへ
1896/1 など矢継ぎ早に発表、後年、一葉「奇蹟の 情報源のサイトへ
1896/5 「われから」、『日用百科全書』に「通俗書簡文」を発表。一葉は結核の症状が進行しており 情報源のサイトへ
1896/5 だけであるが、一葉の死後、斎藤緑雨が一葉の小説の出版に尽力した。 情報源のサイトへ
1896/8 初旬、神田小川町の山龍堂病院の院長樫村清徳によって絶望と診断さされる。 情報源のサイトへ
1896/11/23 午前、喉頭(こうとう=咽頭と気管の間の部分)肺結核で永眠。享年24歳 情報源のサイトへ

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