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樋口一葉(ひぐちいちよう)
| 生没 | 1872年~1896年 | カテゴリ | 明治時代の人物 作家 |
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| 主なできごと |
1872年 東京府第二大区一小区幸橋御門内(今の 東京都... 1883年 下谷区上野元黒門町にあった私立青海(せいかい... 1889年 父も死亡、一葉は経済的に困窮、母と妹ら女3人... 1891年 東京朝日新聞の小説記者半井桃水(なからいとう... 1895年 激しい女の生き様を描いた『にごりえ』 |
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| ライバルや仲間 |
夏目漱石
森鴎外 野口英世 福沢諭吉 正岡子規 聖徳太子 |
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| 年月日 | できごと | 写真 |
|---|---|---|
| 1872 |
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| 1872 |
近代女性作家の第一号と言われる樋口一葉(本名:樋口奈津)は、明治5年
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| 1876 |
免職となる。その後は不動産の斡旋等で生計を立てている
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| 1877 |
本郷小学校に入るが、幼少のために続かず、吉川富吉が始めた私立吉川学校に入学した。
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| 1883 |
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| 1886 |
学業を断念せざるを得なくなったことを不憫に思った父の計らいで、明治19年
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| 1886 |
14歳の時、一葉は小石川安藤坂( |
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| 1887 |
医学博士中島襄吉の新居として建てられ、空家であったものを鴎外が借り受け
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| 1887 |
から没年までの書き記した一葉の日記は、私小説風できわめて価値が高いと評価されている。
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| 1888 |
戸主であった長男の泉太郎が死去し、父を後見に相続戸主となる。
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| 1889 |
父も死亡、一葉は経済的に困窮、母と妹ら女3人で、 |
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| 1890 |
萩の舎の内弟子として中島家に住む。
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| 1890/8/30 |
執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、 |
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| 1891 |
19歳の時でした。
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| 1891/4 |
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| 1892 |
一葉のペンネームで『 |
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| 1892/9 |
「甲陽新報」)
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| 1893/7 |
から
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| 1894 |
このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(前述の渋谷三郎)が求婚してくるが拒否する。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの |
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| 1894/4 |
まで下谷・龍泉寺(したや・りゅうせんじ) |
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| 1894/12 |
「大つごもり」を「文學界」に、翌
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| 1894/12 |
薄幸の少女お峰の女中生活の哀感を大みそかを背景に描く『大つごもり』、また翌
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| 1895/1 |
から「たけくらべ」を7回にわたり発表し、その合間に「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる。
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| 1895/1 |
から『たけくらべ』〔を、1893(明治26)年に |
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| 1895/5 |
激しい女の生き様を描いた『にごりえ』
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| 1895/9 |
酷薄な夫にもただ耐えるほかはない女主人公を通し、封建的な社会に生きる女性の悲惨を描き、男尊女卑の当時の時代風潮に挑戦した『十三夜』
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| 1895/12 |
外、女が1人生き抜くために閉ざされた人生を打ち破ろうとした『わかれ道』
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| 1896 |
雑誌「文学界」に連載していた小説「たけくらべ」を雑誌「文藝倶楽部」に掲載したところ、 |
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| 1896 |
月、「国民之友」)
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| 1896 |
没 | 樋口一葉
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| 1896 |
入るや一葉は、結核のために倒れ、春以来の病状が急速に悪化
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| 1896/1 |
など矢継ぎ早に発表、後年、一葉「奇蹟の
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| 1896/5 |
「われから」、『日用百科全書』に「通俗書簡文」を発表。一葉は結核の症状が進行しており
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| 1896/5 |
だけであるが、一葉の死後、斎藤緑雨が一葉の小説の出版に尽力した。
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| 1896/8 |
初旬、 |
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| 1896/11/23 |
午前、喉頭(こうとう=咽頭と気管の間の部分)肺結核で永眠。享年24歳
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