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年表トップ > 桂太郎と黒田清隆の年表を比べる

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桂太郎(かつらたろう)

 

黒田清隆(くろだきよたか)

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桂太郎(かつらたろう)に関する本・DVD

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桂太郎   黒田清隆
年月日 できごと   年月日 できごと
      1840/11/9 鹿児島県で誕生/第2代首相)情報源のサイトへ
1848/1/4 桂 太郎/桂 清澄(かつら たろう/かつら きよずみ、1848年1月4日情報源のサイトへ      
      1866 薩長同盟に際しては、盟約の前に薩摩側の使者として長州で同盟を説き、大坂西郷隆盛と桂小五郎の対面を実現させた後、再び長州に使者として赴いた。情報源のサイトへ
1867 史叢書」のちオンデマンド版 原書房 情報源のサイトへ      
      1868/9/27 庄内鶴岡城を接収してこの方面の戦闘を終わらせた。情報源のサイトへ
      1869/1 軍務官に任命された。箱館戦争がはじまると、黒田は情報源のサイトへ
      1869/3 東京を出港した。途中、宮古湾停泊中に宮古湾海戦に際会した情報源のサイトへ
1870 私費でドイツに留学し軍事学を研究情報源のサイトへ      
      1870/5 樺太専任の開拓次官となった。情報源のサイトへ
      1870/10/20 建議して、樺太情報源のサイトへ
      1872 戦後は榎本助命を強く要求して、厳罰を求める者と長い間対立し、彼のために丸坊主になったこともある。榎本問題は明治5年情報源のサイトへ
      1872/1/6 ようやく、榎本らを謹慎、その他は釈放として決着した。情報源のサイトへ
1874 結婚情報源のサイトへ      
1875 ドイツ公使館付武官として軍政研究に従事。情報源のサイトへ      
      1876 (1876)特命全権大使として修好条規を締結。情報源のサイトへ
      1877/3/14 征討参軍に任命された。このとき熊本城は包囲され、北から来る山縣有朋の主力軍が解囲戦に苦戦していた情報源のサイトへ
1878 帰国後、参謀本部管西局長となる。情報源のサイトへ      
      1878/5 大久保利通が暗殺されると、黒田は薩摩藩閥の最有力者とみられるようになった。情報源のサイトへ
      1881 政変で大隈を失脚させた。しかし払い下げは中止になり、黒田は開拓長官を辞めて内閣顧問の閑職に退いた情報源のサイトへ
      1881 政変により開拓長官を辞任。第1次伊藤内閣の農商務相をつとめたのち首相となり、大日本帝国憲法の発布式典にかかわった情報源のサイトへ
1883 後、陸軍省総務局長、陸軍次官を歴任して軍政改革を推進した。情報源のサイトへ      
1886 没)との間に1男2女。2番目の妻貞子(旧姓・宍道、歌子の兄の未亡人情報源のサイトへ      
      1889  明治天皇/黒田清隆 明治時代 政治・経済・社会大日本帝国憲法発布 情報源のサイトへ
1890 没)との間に1男2女。3番目の妻可那子(旧姓・木村、名古屋時代に出会い情報源のサイトへ      
1891 より事実婚情報源のサイトへ      
1891 第3師団長に転じ戦争に出征情報源のサイトへ      
      1893/11/30 西郷従道は、正式な受命を経ていない情報源のサイトへ
1896 台湾総督、東京防禦総督を経て情報源のサイトへ      
1898 勅令第258号))情報源のサイトへ      
1898 第三次伊藤内閣陸相。情報源のサイトへ      
1900 第4次伊藤内閣まで留任し、義和団鎮圧を担当、一段落したところで辞任。情報源のサイトへ   1900 カテゴリ: 日本の陸軍軍人 | 日本の内閣総理大臣 | 日本の華族 | 北海道の歴史 | 幕末維新側人物 | 明治の元勲 | 明治時代の人物 | 薩摩国の人物 | 鹿児島県出身の人物 | 1840年生 | 1900年没情報源のサイトへ
      1900/8/23 脳出血で死去した。葬儀委員長は榎本武揚であった情報源のサイトへ
      1900/8/23 黒田清隆(首相(2代))[1900年8月23日没]情報源のサイトへ
1900/9/15 拓殖大学の前身である台湾協会学校を創立している。また、現在の獨協大学の前身である獨逸学協会学校の校長を情報源のサイトへ      
1901 田中正造足尾鉱毒事件で天皇に直訴(1901/12/10)情報源のサイトへ      
1901 第一次内閣を組織し戦争を遂行。情報源のサイトへ      
1901/6 山本権兵衛海軍大臣、兒玉陸相の留任を除いて、小粒な内閣が発足した。蔵相兼外務大臣の曾禰荒助をはじめ、初めて大臣になるという官僚が大半で、その多くが内務省出身の山県閥官僚であった情報源のサイトへ      
1901/9 小村寿太郎を外相に起用した。同盟締結を推進するためで、桂は自伝で、自分と小村とは問題の解決は武力によるしかないと最初から覚悟していたと語っている(もっとも、この自伝について山縣は、桂本人に都合のいい作文みたいなものだと酷評している)情報源のサイトへ      
1902  明治天皇/桂太郎 明治時代 政治・経済・社会第一次同盟協約締結情報源のサイトへ      
1904 第一次協約調印情報源のサイトへ      
1904  明治天皇/桂太郎 明治時代 政治・経済・社会戦争はじまる(−05.9)情報源のサイトへ      
1905 ポーツマス条約調印、講和反対国民大会(日比谷焼き打ち事件)(1905/9/5)情報源のサイトへ      
1905 桂・タフト協定(1905/7/29)情報源のサイトへ      
1905 第二次協約調印(1905/11/17)情報源のサイトへ      
1908 第二次内閣を組織して条約改正を完成、韓国併合を強行するとともに大逆事件、南北朝正閏問題の処理に当たる。情報源のサイトへ      
1908 「戊申詔書」発布(1908/10/13)情報源のサイトへ      
1908 第14代:1908年 -情報源のサイトへ      
1909 新聞紙法公布(1909/5/6)情報源のサイトへ      
1909 大逆事件情報源のサイトへ      
1910 朝鮮総督設置情報源のサイトへ      
1910 白瀬中尉ら南極探検に出帆(1910/11/29)情報源のサイトへ      
1910/11/30 西郷従道は、正式な受命を経ていない情報源のサイトへ      
1911 新通商航海条約調印(1911/2/21)情報源のサイトへ      
1911 南北朝正閏問題(1911/2/4)情報源のサイトへ      
1911 第3回同盟協約調印情報源のサイトへ      
1911  明治天皇/桂太郎 明治時代 政治・経済・社会工場法公布情報源のサイトへ      
1911 工場法公布(1911/3/29)情報源のサイトへ      
1912 内大臣兼侍従長から第三次内閣を組織するが、第一次護憲運動の高まりの中で情報源のサイトへ      
1913 没)情報源のサイトへ      
1913 辞任。立憲同志会の結成に着手するが中途で病死情報源のサイトへ      
1913 カテゴリ: 日本の内閣総理大臣 | 日本の閣僚経験者 | 日本の陸軍軍人 | 日本の華族 | 日本国会議員 (1890-1947) | 台湾総督 | 山口県の政治家 | 長門国の人物 | 桂氏 | 1848年生 | 1913年没情報源のサイトへ      
1913 本日情報源のサイトへ      
1913/2 第3次内閣を組閣する。この桂園時代は立憲政友会の原敬との攻防と「情意投合」、盟友である西園寺との信頼関係のもと、凋落する元老世代からの自立を図った時代でもある情報源のサイトへ      
1913/7 政争の合い間に桂のために切り替え手続きを行ったものの、桂は情報源のサイトへ      
1913/8 桂はドイツに留学した。但し、賞典禄を元手にした私費留学であったことから現地での生活はかなり苦しく、ヨーロッパ使節団のためドイツへ来訪した木戸孝允(桂小五郎)を訪ね、官費留学の待遇切り替えを依頼している情報源のサイトへ      
1913/8 胃ガンで死去した。戦争を勝利に導いた総理大臣であるにも関わらず、国葬をもって送られることはなかった情報源のサイトへ      
1913/8 桂を倒したはずの民衆までも大挙して押し寄せた。情報源のサイトへ      
1913/10 半ばに留学を打ち切って帰国した。情報源のサイトへ      
1913/10/5 戦争を勝利に導いた「第二流内閣」情報源のサイトへ      
1913/10/10 大勲位菊花章頸飾情報源のサイトへ      
1913/10/10 同盟・戦争遂行に尽力した首相・桂太郎の命です。情報源のサイトへ      
1913/10/10 日本の武士(長州藩士)、軍人、政治家。第11・13・15代内閣総理大臣情報源のサイトへ      
1913/12 兒玉源太郎と交代した。もちろん、すべて山縣の意向である情報源のサイトへ      

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