年表トップ > 大正時代以降の人物 > 東條英機
ウェブサイト上の情報を調べて見出し情報をまとめた検索結果ページです。事実が正確に並べられた年表ではありませんのでご注意下さい。
東條英機(とうじょうひでき)
| 生没 | 1884年~1948年 | カテゴリ | 大正時代以降の人物 政治家・官僚 |
|---|---|---|---|
| 主なできごと |
1884年 東京市麹町区(現在の千代田区)に東條英教陸軍... 1923年 二女・満喜枝が誕生している。 1948年 発行「東條英機宣誓供述書」を改題、ワック版で... 1948年 極東国際軍事裁判(東京裁判)で、「真珠湾を不... 1948年 未明までの間とされる。花山は聞いたことを後で... |
||
| ライバルや仲間 |
近衛文麿
広田弘毅 徳川家康 石原莞爾 |
||
Ads by Google
| 年月日 | できごと | 写真 |
|---|---|---|
| 1884/7/30 |
|
|
| 1905/4/21 |
陸軍歩兵少尉に任官。
|
|
| 1923/9/30 |
二女・ |
|
| 1923/10/5 |
参謀本部員、同
|
|
| 1925/9/3 |
予め認む
|
|
| 1933/3/18 |
陸軍少将に昇任
|
|
| 1937 |
(1937)関東軍参謀長
|
|
| 1937/7/7 |
勲一等瑞宝章
|
|
| 1937/11/30 |
陸軍次官となり、能吏ぶりを発揮して「かみそり |
|
| 1941 |
第64代:1941年 -
|
|
| 1941 |
(昭和16)
|
|
| 1941/9/30 |
『戦陣訓』を作成し布達している。
|
|
| 1941/10 |
現役陸相のまま組閣し、対 |
|
| 1941/10/18 |
第40代内閣総理大臣兼内務大臣・陸軍大臣に就任し、且つ、内規を変えてまで陸軍大将に昇進する[5]。第二次近衛内閣、第三次近衛内閣と |
|
| 1941/11/30 |
来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである
|
|
| 1941/12/8 |
宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである
|
|
| 1942 |
伊藤俊一郎 『至誠・鉄の人 東条英機伝』(天佑書房、1942年)
|
|
| 1942 |
『大 |
|
| 1943 |
元旦の朝日新聞に執筆した『戦時宰相論』が原因との説もある)。 |
|
| 1943/4/23 |
商工大臣・軍需大臣(以上内閣総辞職まで)を兼任。
|
|
| 1944/6/30 |
史』に詳しい
|
|
| 1948 |
発行「東條英機宣誓供述書」を改題、ワック版ではGHQ発禁第一号と宣伝されているが、GHQの検閲は
|
|
| 1948/11/12 |
|
|
| 1948/12/24 |
未明までの間とされる。花山は聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではないと述べている
|
