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日野富子(ひのとみこ)
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| 年月日 | できごと | 写真 |
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| 1440 |
移動: ナビゲーション, 検索 日野 富子(ひの とみこ、永享12年〔
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| 1450/5 |
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| 1455 |
日野富子(ひのとみこ)をつまにむかえる。
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| 1455 |
室町幕府の |
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| 1455/8/27 |
16歳で義政の正室となり
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| 1459/1/9 |
うちに夭折。それを義政の乳母の今参局が呪いを掛けたせいだとし、彼女を |
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| 1459/1/9 |
第1子が生まれるが
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| 1464 |
父・義政は実子をなかなか授からないため、義尚の叔父にあたる足利義視を養子にしていた。ところが生母の日野富子は義尚を第9代将軍にしたいと願望して当時の実力派大名であった |
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| 1464 |
段階で第103代・ |
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| 1464/11/30 |
日野富子に |
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| 1464/11/30 |
男子の生まれない義政は実弟で仏門に入っていた義尋を還俗させ、名を足利義視と改めて |
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| 1465 |
上述したように日野富子に |
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| 1466 |
富子は |
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| 1467 |
正月に、将軍義政が |
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| 1476 |
花の御所( |
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| 1489 |
六角高頼を討伐に遠征中の義尚が没し、次いで義政も没する。そこで義視と自分の妹の間に生まれた |
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| 1489 |
六角討伐の陣中で死去したため、やむなく政務の場に復帰することを決意するが、正室の日野富子が義政の復帰に反対し、さらに義政自身も中風に倒れて政務を執ることが困難となったため、美濃に亡命していた弟の義視と和睦し、義視の嫡男・ |
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| 1493 |
細川政元と共にクーデターを起こし義材を廃し、義政の甥で堀越公方足利政知の子 |
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| 1493 |
義視の死後、義材も父の遺志を継ぎ富子に反発。だが、明応2年
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| 1496 |
死去してしまう。享年57
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| 1496 |
カテゴリ: 日 |
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| 1496/6/30 |
〕)は、室町時代の人物。室町幕府8代将軍 |
