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斉藤一(さいとうはじめ)

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斉藤一(さいとうはじめ)に関する本・DVD

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年月日 できごと 写真
1844/1/1 斎藤一(さいとうはじめ)、天保15年1月1日 情報源のサイトへ
1862 江戸で刃傷沙汰を起こして京都へ逃亡し、斎藤一と名を変えた。 情報源のサイトへ
1863/3/10 芹沢鴨・近藤勇ら13名が新選組の前身、壬生浪士組(精忠浪士組とも呼ばれる)を結成。藩主松平容保が京都守護職を務めていた会津藩の預かりとなる 情報源のサイトへ /matsumoto_kijirou.jpg /sakaima.jpg /battle_p03.jpg /isakao2.jpg
1866/4/1 新選組七番隊長・谷三十郎頓死。一説に斉藤一による暗殺説がある 情報源のサイトへ
1867 山口二郎(次郎とも)と改名。会津藩に属して戊辰戦争を戦っている時期には一瀬伝八を名乗った 情報源のサイトへ /060827e1.jpg /20070113_217289.JPG
1867/2/5 伊東甲子太郎・永倉新八・斉藤一ら島原の角屋で酒宴、隊規を無視し 情報源のサイトへ
1867/2/8 伊東甲子太郎・永倉新八・斉藤一ら、近藤の命で帰隊、謹慎処分となる 情報源のサイトへ
1867/3 伊東甲子太郎が御陵衛士を結成して新選組を離脱する際に行動をともにしたが、のちに新選組に復帰した。御陵衛士の活動資金を盗んだためだという説やもともと新選組の間諜として潜入していたのだという説もあり、この時期の行動についてはその事実関係や動機が明確になっていない 情報源のサイトへ
1867/12/5 斉藤一、御陵衛士を脱し新撰組に復帰 情報源のサイトへ
1867/12/7 天満屋事件の際には、紀州藩の依頼を受けて、紀州藩士三浦休太郎を護衛していた。海援隊士らの襲撃のとき三浦とともに酒宴を開いていた新選組は遅れをとり、宮川信吉と舟津釜太郎が死亡したほか、梅戸勝之進が斎藤をかばって重傷を負うなどの被害を出したものの、護衛には成功している 情報源のサイトへ /tenman02.jpg /13tenmayajikenhi.jpg
1867/12/13 近藤勇、三浦休太郎のもとにいる斉藤一の帰隊を促す書簡を送る 情報源のサイトへ /iriguti2.jpg /battle_p03.jpg
1868/1 鳥羽・伏見の戦い 情報源のサイトへ /f0010195_112928.jpg /184s.jpg
1868/3 甲州勝沼の戦いと転戦。いずれも最前線で戦った 情報源のサイトへ /p9_cloth02.jpg /20070821231532.jpg
1868/4 宇都宮城の戦いに参加、足を負傷して戦列を離れ、田島を経由して若松城下にたどり着き、斎藤らと合流した。 情報源のサイトへ /daidokoro.jpg /t14_shimizuya.jpg
1868/4/5 白河口の戦いに参加 情報源のサイトへ /132a.jpg /61.jpg
1868/8/21 母成峠の戦いにも参加した。敗戦により鶴ヶ城下に撤退 情報源のサイトへ /main_gyousei_youran_03_1.jpg /b3937.jpg
1868/9/22 会津藩が降伏したあとも斎藤は戦い続け、容保が派遣した使者の説得を受け入れてやっと新政府軍に投降した。降伏後は捕虜となった会津藩士とともに、はじめは旧会津藩領の塩川、のち越後高田で謹慎生活を送った 情報源のサイトへ
1869/11/3 再興を許された。知行高は陸奥国内で3万石とされ、藩地は猪苗代か下北かを松平家側で選ぶこととされた 情報源のサイトへ
1872 壬申戸籍には「藤田五郎」として登載されている。 情報源のサイトへ
1877 警視官時代の斎藤一(1877年) 情報源のサイトへ
1877/2 警視局の警部補に任ぜられる。 情報源のサイトへ
1877/2/15 西南戦争が勃発。豊後口警視徴募隊に抜刀隊として参加し 情報源のサイトへ /06s.JPG /genre042.jpg
1877/5 戦闘参加。抜刀斬り込みの際、銃撃戦で負傷するがその天才的な剣技と指揮力で、薩摩兵を圧倒 情報源のサイトへ
1891 警視庁を退職し、その後は東京高等師範学校などに警備員として勤務した。 情報源のサイトへ
1915 没 | 日本の警察官 情報源のサイトへ /060827e1.jpg /20070113_217289.JPG
1915/1/1 由来するともいわれるが史料的根拠はない。 情報源のサイトへ
1915/9/28 胃潰瘍のため死去。床の間に座ったまま往生を遂げたと伝えられる 情報源のサイトへ
1915/9/28 幕末から明治にかけて活躍した武士。新選組隊士 情報源のサイトへ

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