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太田道灌(おおたどうかん)
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| 年月日 | できごと | 写真 |
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| 1472 |
古河城を奪回。
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| 1474 |
この頃に資長は出家して道灌と称した(備中入道道灌)。「道灌」を名乗り始めた正確な時期は不明だが、「道灌」名義の初出は文明6年
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| 1474 |
頃に著名な歌人の心敬を品川の館に招いて連歌会を催し、これは「品川千句」と呼ばれる(優れた歌人の父道真も「河越千句」を行っている)。また
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| 1474 |
心敬を判者に江戸城で歌合を行い、「武州江戸二十四番歌合」が残っている。
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| 1476/2 |
駿河守護今川義忠が遠江国で討ち死にし、家督をめぐって遺児の龍王丸と従兄の小鹿範満が争い内紛状態となった。小鹿範満は堀越公方の執事上杉政憲(犬懸家)の娘を母としており、道灌は範満を家督とするべく、政憲とともに兵を率いて駿河に入った
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| 1478 |
正月、古河公方は和議を打診してきた。
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| 1478 |
道灌は上野国へ侵攻して塩売原で景春と対陣するが決着はつかなかった。道灌の東奔西走の活躍により景春は早々に封じ込められた格好になり、翌文明10年
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| 1478/3/30 |
及んだが、道灌は「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」という戯れ歌をつくって兵に歌わせ士気を鼓舞してこれを攻め落とした。続いて、景春方の諸城を落として相模国から一掃
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| 1478/4 |
武蔵国の小机城(神奈川県横浜市)を包囲した。「太田家記」によると城の守りが堅固な上に、攻め手が小勢なため包囲は数
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| 1480 |
なおも抵抗を続けていた景春も文明12年
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| 1482 |
古河公方と両上杉家との間で「都鄙合体(とひがったい)」と呼ばれる |
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| 1485 |
江戸に来た万里より『幻の茄子』を贈られる。
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| 1486 |
カテゴリ: 太田氏 | 室町時代の人物 | 武蔵国の人物 | 戦国武将 | 室町・安土桃山時代の歌人 | 暗殺された人物 | 都市の建設者 | 1432年生 | 1486年没
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| 1486/7/30 |
以上後の江戸時代に書かれたものなので、そのまま事実とは考えられないが、道灌の才気と傲慢な一面の性格を示す逸話として知られる。
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| 1498 |
太田道灌の十三回忌を糟屋の大慈寺にて行う。早雲も参加する
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| 1966 |
ISBN B000JAAQC8
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| 1990 |
ISBN 4253003796
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| 1990 |
発行。ISBN 4404017707
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| 1997 |
ISBN 4056015287
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| 2002 |
ISBN 4404029737
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| 2003/6 |
号』、学習研究社)
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| 2004 |
ISBN 4872943269
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| 2005 |
など)。
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