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年表トップ > 名古屋大学と東北大学の年表を比べる

ウェブサイト上の情報を調べて見出し情報をまとめた検索結果ページです。事実が正確に並べられた年表ではありませんのでご注意下さい。

名古屋大学

 

東北大学(とうほくだいがく)

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東北大学(とうほくだいがく)に関する本・DVD

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名古屋大学   東北大学
年月日 できごと   年月日 できごと
      -2/5/30 史編纂について本格的な検討を始めたのは情報源のサイトへ
      -2/7/30 史』の時と同様、日本の大学史の第二の劃期を作りたいと願っている。そのためには、編纂室のみならず各部局編集委員会においても、学問的に耐えられる真の意味の大学史を作る努力をしていただければと願っている情報源のサイトへ
      -2/8/30 頃から漸く編集体制が整いつつある。全学の協力を得て、専従の講師・助手各一名、事務担当室員2名から成る編纂室ができ、また資料蒐集も本格化して来たからである情報源のサイトへ
      -1/9/30 史』は資料として貴重なだけでなく、読んで面白い。特に、東北大学に籍を置いた関係者にとっては、そうである情報源のサイトへ
      -1/11/29 まで補講をしていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです情報源のサイトへ
      -1/11/29 職を引き継ぐものとする。情報源のサイトへ
      -1/11/29 任期法の規定により任期を定めて任用されていた教授、助教授、講師又は助手は、別に定めるところにより任期を定めるものとする。情報源のサイトへ
      -1/11/30 史』は、資料として新聞などを用いて肉付けしたので読ませる親しさがあるのが迎えられ、他大学の年史に相当の影響を与え、多くの文献の東北大学に関する記載がこれに依拠するなど、東北大学史の基本イメージを学内外に樹立した。しかし出版後情報源のサイトへ
      -1/11/30 中に仙台公立病院、宮城病院と順次改称、共立病院附属塾舎は最終的に宮城病院附属医学校へ改組情報源のサイトへ
      -1/11/30 表は原田 等さん(S54入部、S58卒部)に作成していただいたものを三津博之さんが編集いたしました。情報源のサイトへ
      -1/11/30 史』などにも記載があるが、具体的な分科大学計画の記述は従来見られなかった。順調に進めば情報源のサイトへ
      -1/11/30 史編纂委員会委員長 小山貞夫情報源のサイトへ
      0/5 経済学博士(東北大学)情報源のサイトへ
      0/6/22 東北帝国大学」の名前で誕生しました。情報源のサイトへ
      1 半の、世界や日本でトップの成績や活躍を果たした学生や学生団体の一部を紹介いたします。情報源のサイトへ
      1 でも早く着手すべきであるとの判断があったからである。もっとも、東北大学は大学史研究施設として誇るべき記念資料室をもち関係資料の収集を続けてきたが、とくに『情報源のサイトへ
      1 を通して最も活気にあふれている。情報源のサイトへ
      1 以内に再度前条第1項第1号に掲げる事由により休職(同種の傷病による休職に限る。)する場合にあっては、復職前の休職の期間と通算して情報源のサイトへ
      1 半中心のリストです(敬称略)。このほかにも多数の活躍が推察されます情報源のサイトへ
      1 どれくらい増えるの?情報源のサイトへ
      1 設置の仙台藩藩校「明倫賢堂」まで遡る。この藩校が、教育機関としての体制を維持しながら様々な改組・改称を経て、仙台医学専門学校、東北帝国大学医科大学、そして現在の東北大学医学部(医学科・保健学科)および薬学部の系譜に繋がっている情報源のサイトへ
      1 を経過しない職員(以下「妊産婦である職員」という。)は、妊娠、出産、保育等に有害な業務に就かせない情報源のサイトへ
      2 小林主茂(U.S.A.カリフォルニア大学デイビス校)、経営学科情報源のサイトへ
      2 夏のオープンキャンパス。集まった大勢の東北大志望者を目の当たりにして,「こんなにライバルがいるんだ…頑張らなければ!」と気が引き締まりました情報源のサイトへ
      2 以上在学し、所定の課程を修了した者情報源のサイトへ
      2 を超えない範囲内において、当該休職の期間を更新することがある。この場合において、更新した休職の期間が情報源のサイトへ
      2/3 医科分館閲覧室竣工情報源のサイトへ
      2/4 2号館開館情報源のサイトへ
      2/5/22 創設されたが、その情報源のサイトへ
      3 中駄拓真(U.S.A.カリフォルニア大学ロサンゼルス校、経済学専攻)、経営学科情報源のサイトへ
      3 東北学院大学工学部 3年情報源のサイトへ
      3 次編入学試験 第1次選抜(筆答試験)の合格者を発表しました。詳しくはこちらをご覧ください情報源のサイトへ
      3 を経過しても負傷又は疾病が治癒せず労基法第81条の規定によって打切補償を支払う場合(労働者災害補償保険法情報源のサイトへ
      3 計画)に着手情報源のサイトへ
      3/4 第一回関東東北図書館大会を仙台で開催情報源のサイトへ
      4 一貫の新しいカリキュラムが導入された.情報源のサイトへ
      4 制-研究者養成)と薬学科情報源のサイトへ
      4/7 医科大学医学科設置情報源のサイトへ
      4/12 図書館医科分館設置情報源のサイトへ
      5 を超えない範囲内でこれを定める。この場合において、同項第4号及び第6号に掲げる事由による休職の期間が情報源のサイトへ
      5 満たない場合には、当該休職の期間の初日から引き続き情報源のサイトへ
      5/3 狩野文庫マイクロ化、和書目録編集終了情報源のサイトへ
      5/3/30 までに、文書をもって願い出なければならない。情報源のサイトへ
      5/3/31 を終えたとき。情報源のサイトへ
      5/4 大学院国際文化研究科、情報科学研究科、大学教育研究センター情報源のサイトへ
      5/6 官制改正により図書館が独立の機関となり、図書館長および司書を置く情報源のサイトへ
      6 以上在学し、教授会が別に定めるところにより、全学教育科目の授業科目の単位を43単位以上及び専門教育科目の授業科日の単位を157単位(基幹教育科目65単位、発展教育科目43単位、実務教育科目27単位及び研究者教育科目22単位)以上修得しなければならない。情報源のサイトへ
      6 創薬科学科 6年情報源のサイトへ
      6 制-薬剤師養成)を設置。情報源のサイトへ
      7/2 工学分館増築竣工情報源のサイトへ
      7/4 農科大学が分離し、北海道帝国大学農科大学となる情報源のサイトへ
      7/10 漱石文庫マイクロ化情報源のサイトへ
      8/2 理科大学および医科大学がそれぞれ理学部及び医学部となる情報源のサイトへ
      8/3 二次情報データベースサービス開始情報源のサイトへ
      8/5 工学部設置情報源のサイトへ
      9 薬学科 9年情報源のサイトへ
      10/1 大学広報誌「まなびの杜」創刊情報源のサイトへ
      10/2 漱石文庫マイクロ化完了情報源のサイトへ
      11/8 法文学部設置情報源のサイトへ
      11/9 櫛田民蔵文庫購入情報源のサイトへ
      12 西蔵大蔵経を購入情報源のサイトへ
      14/2 医科分館書庫竣工情報源のサイトへ
      14/12 新営本館(鉄筋コンクリート二階建、一部中三階)が竣工情報源のサイトへ
      15/10 第三回帝国大学附属図書館協議会が本館において開催情報源のサイトへ
      16/7 「類聚国史巻二十五」及び「史記孝文本紀第十」国宝に指定情報源のサイトへ
      17/3 ケーベル文庫購入情報源のサイトへ
      19/3 漱石文庫受入情報源のサイトへ
      20 大学令という結論に到達した。東北大学の設置は一時ほとんど見込みがなくなり、その代わりのように仙台高等工業学校が将来の大学昇格をほのめかせられながら設立された事実が後の経緯を複雑なものにした情報源のサイトへ
      20/3 貴重本、西蔵大蔵経を仙台近郊に疎開情報源のサイトへ
      20/6/18 『国民新聞』に、工科を含む東北(帝国)大学構想が紹介されている。この記事は、文部省が明年度において九州大学の外更に東北大学新設を内定し予算を大蔵省に廻送したと伝え、東北大学は仙台市情報源のサイトへ
      20/7 仙台大空襲(図書館は戦災を免れる)情報源のサイトへ
      22/4 農学部設置情報源のサイトへ
      22/5 東北地方大学高等専門学校図書館協議会発足情報源のサイトへ
      23/9 米国教育文庫開設情報源のサイトへ
      24/4 法文学部が法学部、経済学部、文学部に分立情報源のサイトへ
      24/5 新制東北大学発足(学部は、文学部、教育学部、法学部、経済学部情報源のサイトへ
      24/9 東北帝国大学はその名称を「東北大学」と改め、帝国大学としての歴史を閉じます。情報源のサイトへ
      28/6/10 武藝部から弓藝部独立(後、弓術部)雪荷派宇津井広道が師範となる。情報源のサイトへ
      29/1 医科分館を附属図書館分館医学図書館と改称情報源のサイトへ
      30/1 宮城県大学図書館協会発足情報源のサイトへ
      32/5 附属図書館分館医学図書館を医学部分館と改称情報源のサイトへ
      33/9 富沢分校の川内移転に伴い、富沢分校分館を川内分校分館と改称情報源のサイトへ
      38/8 東北大学記念資料室設置情報源のサイトへ
      39/4 川内分館を教養部分館と改称情報源のサイトへ
      39/11 本館に学生閲覧室および書庫を増築情報源のサイトへ
      40/7 国連寄託図書館に指定情報源のサイトへ
      41 歴史に幕を下ろし閉店した。セレモニーでは閉店を惜しむ者が集まり貧食での思い出を偲んだ情報源のサイトへ
      41/1 調査研究室設置情報源のサイトへ
      41/6 理学部に中央図書室設置情報源のサイトへ
      42/8 工学部に中央図書室設置情報源のサイトへ
      44/1 理科大学開設情報源のサイトへ
      44/6 図書館創設(図書館主幹として理科大学教授の林鶴一が任命)情報源のサイトへ
      45/1 OECD寄託図書館に指定情報源のサイトへ
      45/4 医学専門部設置情報源のサイトへ
      45/10 狩野亨吉旧蔵書を購入(狩野文庫)情報源のサイトへ
      47/4 教養部分館を廃止し、本館に統合情報源のサイトへ
      47/5 医学部薬学科が薬学部となる情報源のサイトへ
      47/10 新営本館川内地区に竣工情報源のサイトへ
      49/4 農学部分館設置情報源のサイトへ
      53/4 工学分館設置情報源のサイトへ
      55/11 工学分館新館竣工情報源のサイトへ
      57/4 青葉山分館設置情報源のサイトへ
      58/9 EC資料センターに指定情報源のサイトへ
      59/1 医学分館新館竣工情報源のサイトへ
      60/10 青葉山分館新館竣工情報源のサイトへ
      61/12 電算機システム(TLINES)稼働開始情報源のサイトへ
      62/1 学術情報センター(NACSIS)と接続情報源のサイトへ
      62/11 本館2号館竣工情報源のサイトへ
1870 頃(詳細年月日不明) 尾張藩元奥医師等、「洋学医庠」設立建議書を名古屋藩庁に提出。 情報源のサイトへ      
1871 旧藩書類綴」。徳川林政史研究所所蔵他情報源のサイトへ      
1871 仮病院が旧名古屋藩の評定所跡地に、仮医学校が旧名古屋藩の名古屋町奉行所跡に設立されたことに始まります。その後、幾多の変遷を経て情報源のサイトへ      
1871/5 開設されたとする情報源のサイトへ      
1871/5 創立説がある。以前の通説的見解であったこともあり、現在でも名大は創立記念日を情報源のサイトへ      
1871/5/1 おいている(「愛知県公立病院及医学校第一報告」情報源のサイトへ      
1871/8/9 [9]、「仮病院・仮医学校」が開設された。以後仮病院・仮医学校は名古屋県の行政運営上の事情や財政難から廃復興の繰り返しの後、公立病院・医学講習所というかたちで存続情報源のサイトへ      
1878 公立医学校となる。情報源のサイトへ      
1880 明治13年)。情報源のサイトへ      
1881 愛知医学校となる。情報源のサイトへ      
1901 愛知県立医学校となる。情報源のサイトへ      
1903 専門学校令に基づき愛知県立医学専門学校となり情報源のサイトへ      
1908 高等学校令に基づき第八高等学校が設立される。情報源のサイトへ      
1920 大学令に基づき愛知県立愛知医科大学となる。専門学校令に基づき名古屋高等商業学校が設立される情報源のサイトへ      
1931 国へ移管され官立名古屋医科大学となった。この官立大学誕生を契機として、同医科大の前身学校時代から既に同学校内及び愛知県政財界を中心に展開されていた帝大誘致・設立運動が結実[10]情報源のサイトへ      
1931/5/1 官立移管され名古屋医科大学と改称。情報源のサイトへ      
1939 官立名古屋医科大学を吸収させるかたちで「名古屋帝国大学」が創設される。同時に官立名古屋医科大学は名古屋帝国大学医学部へ改組された情報源のサイトへ      
1939 設置された。大学の略称は名大(めいだい)情報源のサイトへ      
1939 設立された名古屋帝国大学を直接の母体とする国立大学である。名古屋帝国大学は9番目(内地では7番目)に設立され、国内外地を通じて「最後の帝国大学」となった情報源のサイトへ      
1940 理工学部を新設。情報源のサイトへ      
1942 理工学部を理学部と工学部に分離。情報源のサイトへ      
1943 10~18頁。情報源のサイトへ      
1943 航空医学研究所を附置。情報源のサイトへ      
1944 東京大学理学部物理学科卒後すぐに名古屋大学理学部物理学教室助手となる。その後、名古屋大学理学部物理学教室及び分子生物学研究施設に41年間、大阪大学基礎工学部生物工学教室に情報源のサイトへ      
1945 師範教育令に基づき官立岡崎高等師範学校が設立される。航空医学研究所を廃止情報源のサイトへ      
1946 環境医学研究所を附置。情報源のサイトへ      
1947 名古屋大学と改称。学制改革により、旧制名古屋大学、附属医学専門部、第八高等学校、名古屋経済専門学校、岡崎高等師範学校をまとめ情報源のサイトへ      
1947 帝国大学令は国立総合大学令に改称され、大学名も名古屋大学と改称される。情報源のサイトへ      
1947/9 一橋大学商学部卒業情報源のサイトへ      
1948 法経学部、文学部を設置。情報源のサイトへ      
1948 「(旧制)名古屋(帝国)大学」のもと法経・文の2学部が設置されたことで、文科系理科系の両系統学部群が揃うこととなった。その上で、教育制度改革に伴う高等教育機関の一本化という行政施策[12]に伴って、愛知県地域に散在していた旧制官立学校が新制名古屋大学へ包括されて合流する情報源のサイトへ      
1949 文学部、教育学部、法経学部、理学部、医学部、工学部の6学部からなる新制名古屋大学として再出発しました。その後情報源のサイトへ      
1949 学制改革に伴い帝国大学令等の旧制度諸法が廃止され国立学校設置法が制定される。同法に基づき旧制名古屋大学、第八高等学校、岡崎高等師範学校、名古屋経済専門学校(名古屋高等商業学校の後身)等を包括、教育学部を増設した新制大学へ改組、(新制)名古屋大学が誕生する情報源のサイトへ      
1950 『商法改正〔昭和25年・情報源のサイトへ      
1951 農学部を設置。情報源のサイトへ      
1951 名古屋大学理学部生物学科を卒業、同大学助教授を経て情報源のサイトへ      
1952 学部卒)情報源のサイトへ      
1952   FAX情報源のサイトへ      
1952 fax : 052/789/5027情報源のサイトへ      
1952 〒464-8602 名古屋千種区不老町 名古屋大学理学部化学科 TEL:052/789/3654 FAX:情報源のサイトへ      
1953 から情報源のサイトへ      
1954 名古屋大学工学部応用化学科卒業情報源のサイトへ      
1954 制定)情報源のサイトへ      
1955 制定)情報源のサイトへ      
1955 かけて理学、工学、法学、経済学、文学、教育学、医学、農学の8研究科が設置される。しかし大学への予算配分や教官配置の基礎は学部内の講座(chair)制に置かれていた情報源のサイトへ      
1956 学部卒情報源のサイトへ      
1956 名古屋大学体育会が結成され情報源のサイトへ      
1958 教養部情報源のサイトへ      
1958/6 名古屋大学教授として発令されたので、宗宮教授が退官される情報源のサイトへ      
1958/11/29 「第1回定期演奏会」情報源のサイトへ      
1959 名古屋大学工学部卒業情報源のサイトへ      
1960 から毎年情報源のサイトへ      
1960 第一回名大祭の開催を見た[18]。しかし各学部の学生団体がそれぞれ企画を催すなどのばらつきも見られた情報源のサイトへ      
1960 学部卒情報源のサイトへ      
1960/6 名大祭を主催し、教養部の団体の名残である名大祭一・二年生実行委員会が秋季の秋革祭を主催している。とくに名大祭は多くの研究室・部活・サークルの成果の発表の場として、また全学学生の団結力を示す場として位置付けられている情報源のサイトへ      
1960/6/1 曜日に掛けての4日間開催される。また、近年は秋季にも「秋革祭(しゅうかくさい)」と呼ばれるやや小規模なイベントも行われている情報源のサイトへ      
1961 プラズマ研究所を附置。情報源のサイトへ      
1961 大学公認を受けている。同会に所属する部の中には、陸上競技部など旧愛知医学校や第八高等学校からの歴史がある部も存在する[20]情報源のサイトへ      
1961/6 第一回が行われたため、その後も情報源のサイトへ      
1961/6 行われることとなった。情報源のサイトへ      
1962 名古屋大学法学部卒業情報源のサイトへ      
1962 学部卒情報源のサイトへ      
1963 教養部を正式に設置。情報源のサイトへ      
1963 豊田工業高等専門学校の初代校長に就任し、同校のスポーツ振興に力を注いだことに由来する。大学と高専が共催するスポーツ大会は日本国内では珍しい[21]情報源のサイトへ      
1964 創立された合成化学第5 工業機器分析化学講座を源とするが、名古屋大学創立時に発足した工業分析化学講座がその源流であるので、工業化学分析化学講座の歴史から記載した。また、応用化学第8講座 応用計測化学研究室の正式名称は、名古屋大学大学院工学研究科化学・生物工学専攻応用化学分野 無機材料・計測化学講座 応用計測化学グループになる情報源のサイトへ      
1964 名古屋大学農学部畜産学科卒業情報源のサイトへ      
1964/11 下旬に須賀杯争奪駅伝競走大会が開催されている。これは名古屋大学教授で陸上部顧問(当時)を務めていた須賀太郎が情報源のサイトへ      
1965/6 演奏会」情報源のサイトへ      
1966 農学部移転で、東山キャンパスへの統合移転完了。情報源のサイトへ      
1967/5/8 「神戸大学との合同演奏会」情報源のサイトへ      
1968 名古屋大学理学部化学科卒業。情報源のサイトへ      
1969 名古屋大学文学部(仏文科)卒業情報源のサイトへ      
1969 名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。情報源のサイトへ      
1969/12/24 「第12回定期演奏会」情報源のサイトへ      
1971 大型計算機センターを設置。情報源のサイトへ      
1971 名古屋大学文学部卒業情報源のサイトへ      
1973 名古屋大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。情報源のサイトへ      
1974 京都大学工学部建築学科卒業情報源のサイトへ      
1974/12/14 「第17回定期演奏会」情報源のサイトへ      
1975 名古屋大学教育学部教育学科卒業情報源のサイトへ      
1976 名古屋大学経済学部卒業情報源のサイトへ      
1976 同工学研究科建築学専攻修士課程修了情報源のサイトへ      
1976/3 (共著)情報源のサイトへ      
1977 日本化学会進歩賞情報源のサイトへ      
1977 大阪大学 工学部 金属材料工学科卒業情報源のサイトへ      
1979 静岡大学教養部助教授情報源のサイトへ      
1979 同学 基礎工学部 生物工学科卒業情報源のサイトへ      
1980 名古屋大学大学院教育学研究科博士課程後期課程(教育心理学専攻)単位取得満期退学。情報源のサイトへ      
1981 同大学院 博士前期課程物理系・生物工学専攻修了情報源のサイトへ      
1981/12/17 「第24回定期演奏会」情報源のサイトへ      
1982 −)情報源のサイトへ      
1982 ハーバード大学客員研究員、1991-情報源のサイトへ      
1982 名古屋大学法学部法律学科卒業情報源のサイトへ      
1983 同博士課程満期退学情報源のサイトへ      
1984 名古屋芸術大学美術学部デザイン科講師情報源のサイトへ      
1985 東京大学文学部第三類国語学専修課程卒業情報源のサイトへ      
1986/3 大阪大学、名古屋大学を停年退官、両大学名誉教授となる。次いで愛知工業大学に勤務、現在同大学客員教授情報源のサイトへ      
1987 東山キャンパス(1987年)情報源のサイトへ      
1987 金沢美術工芸大学美術工芸学部講師情報源のサイトへ      
1987 東京工業大学 大学院 理工学研究科 博士後期課程・制御工学専攻修了情報源のサイトへ      
1987/4 より米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校ロボットシステムセンター情報源のサイトへ      
1988 東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程修士課程修了情報源のサイトへ      
1988 東京大学文学部助手情報源のサイトへ      
1988/6 「資金計算の構造」 『会計』 第133巻第6号 (1988年6月)情報源のサイトへ      
1989 『アンソニー財務会計論』 白桃書房,1989年情報源のサイトへ      
1989 日本機械学会奨励賞情報源のサイトへ      
1989 『萩原朔太郎論 《詩》をひらく』、単著、和泉書院、1989年情報源のサイトへ      
1989 プラズマ研究所を核融合科学研究所に改組し、大学共同利用機関に移行。情報源のサイトへ      
1989 東京大学 工学部 計数工学科 専任講師情報源のサイトへ      
1989 名古屋大学法学部法律学科卒業情報源のサイトへ      
1989/4 新技術事業団生物フォトンプロジェクト入団 (90/3 同 退団)情報源のサイトへ      
1989/6 米国資金会計論の展開(1)(2)」 『会計』 第135巻第6号,第136巻第2号 (1989年6月,情報源のサイトへ      
1989/12/13 「第32回定期演奏会」情報源のサイトへ      
1990 空電研究所と理学部附属宇宙線望遠鏡研究施設を統合改組し、太陽地球環境研究所を附置。情報源のサイトへ      
1990 名古屋大学出版会発行、名古屋大学日本語教育研究グループ編)情報源のサイトへ      
1990 九州工業大学 情報工学部 機械システム工学科 助教授情報源のサイトへ      
1990/1 学位:文学博士(名古屋大学、1990年1月)情報源のサイトへ      
1990/3 『資金計算書研究』 岡山大学経済学研究叢書第10号,1990年3月情報源のサイトへ      
1990/10 「企業戦略のキャッシュ・フロー分析」 『経営行動』 第5巻第3号 (1990年10月)情報源のサイトへ      
1991 国際開発研究科情報源のサイトへ      
1991 名古屋大学大学院法学研究科博士課程前期課程修了 (法学修士)情報源のサイトへ      
1991 当時の文部省が示した大学設置基準の大綱化をもとに大学院の部局化を本格化する。これは事実上の大学院重点化であった情報源のサイトへ      
1991 名古屋大学法学部助手情報源のサイトへ      
1991 金沢美術工芸大学美術工芸学部助教授情報源のサイトへ      
1991 静岡大学教養部教授、同大学理学部教授などを経て情報源のサイトへ      
1991/11 「基本財務諸表としての資金計算書」 『会計』 第140巻第5号 (1991年11月)情報源のサイトへ      
1992 文部省長期在外研究・ウィーン大学客員研究員情報源のサイトへ      
1992 人間情報学研究科(後述する教養部改組措置を兼ねた研究科として誕生)情報源のサイトへ      
1992/3 名古屋大学を停年退官、名誉教授となる。また情報源のサイトへ      
1993 京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学情報源のサイトへ      
1993 学部卒情報源のサイトへ      
1993/3 『資金会計論』 白桃書房,1993年3月情報源のサイトへ      
1994 名古屋大学 大学院 工学研究科 マイクロシステム工学専攻 教授 現在に至る.情報源のサイトへ      
1994 『名古屋大学留学生センター年報』 (1994年−情報源のサイトへ      
1994/1 「資金会計の勘定理論」 『会計』 第145巻第1号 (1994年1月)情報源のサイトへ      
1994/1 会計観の変遷と日本の選択」 中村 忠編著 『制度会計と財務会計』 (白桃書房,1994年1月)情報源のサイトへ      
1995 名古屋大学情報文化学部助教授情報源のサイトへ      
1995 同大学院美術研究科造形専攻助教授(兼担)情報源のサイトへ      
1995/4 郵政省通信総合研究所COE非常勤研究員 (98/3 同 退職)情報源のサイトへ      
1996 『日本語研修コース修了生追跡調査報告書2』(1996年)情報源のサイトへ      
1996 名古屋大学法学部助教授情報源のサイトへ      
1996/12 「外貨換算会計と資金計算書」 『中部大学経営情報学部論集』 第11巻第1号 (1996年12月)情報源のサイトへ      
1997 凡人社発行、藤原雅憲・籾山洋介編)情報源のサイトへ      
1997 より名古屋大学大学院理学研究科教授。この間情報源のサイトへ      
1997 ウィスコンシン大学マディソン校大学院修士課程修了情報源のサイトへ      
1997 『声の祝祭 日本近代詩と戦争 』、単著、名古屋大学出版会、1997年情報源のサイトへ      
1997/7/31 「京都大学マンドリンオーケストラとの合同演奏会」情報源のサイトへ      
1997/8 「連結財務諸表の目的——現金創出力をめぐって——」 『JICPAジャーナル』 第505号 (1997年8月)情報源のサイトへ      
1998 『日本語研修コース修了生追跡調査3:研究留学生にみられる日本語能力の変化と日本語使用環境に関する基礎的研究』(1998年)情報源のサイトへ      
1998 日本機械学会、日本ロボット学会、計測自動制御学会共催情報源のサイトへ      
1998 国際言語文化研究科の各研究科設置という形で実現した。また、後者は教養部を改組の上、前述した人間情報学研究科と情報文化学部情報源のサイトへ      
1998 〜),アジア会計学会会長情報源のサイトへ      
1998/4 東北学院大学工学部応用物理学科講師 (99/3 同 退職)情報源のサイトへ      
1998/10 「キャッシュフロー計算書とは何か」 『企業会計』 第50巻第10号 (1998年10月)情報源のサイトへ      
1999 〜)社会関連会計学会理事情報源のサイトへ      
1999 法、医、生命農学情報源のサイトへ      
1999 『大学の国際化と留学生センターの役割 名古屋大学留学生センター自己点検・評価報告書』(1999年)情報源のサイトへ      
1999 『企業結合・企業統治・企業金融』(信山社・1999年)情報源のサイトへ      
1999 (財)相模中央科学研究所研究顧問、また情報源のサイトへ      
1999/2 (共編著)情報源のサイトへ      
1999/4 理化学研究所フォトダイナミクス研究センター伊藤チームフロンティア研究員          (サブチームリーダー)情報源のサイトへ      
2000 教育学研究科を教育発達科学研究科と改称。情報源のサイトへ      
2000 海外研究開発動向調査(文部省)・モントリオール大学客員研究員情報源のサイトへ      
2000 『国際化の視野からみた言語文化科目の教育改善』(2000年)情報源のサイトへ      
2000 レーザー学会 業績賞(論文賞)情報源のサイトへ      
2000 名古屋大学の基本理念の概要を示す『名古屋大学学術憲章』が定められた。この憲章において、自発性・創造性・先進性・国際性などの重視が示されており、「勇気ある知識人を育てる」ことが目標に掲げられている情報源のサイトへ      
2000 博士(法学)学位取得(名古屋大学)情報源のサイトへ      
2000 文、教、経済と各学問分野において大学院重点化を完了させることで実現している。情報源のサイトへ      
2000/4 日本の大学が設置する5番目[16]の総合大学博物館として、東山キャンパスの古川記念館内に設置された。名古屋大学が所蔵する学術標本の収集・研究・保護・展示や異分野交流、大学の研究成果の展示、情報発信の目的を担っている[15]情報源のサイトへ      
2000/12 「財務会計の三元的理解——資金観の可能性——」 『企業会計』 第52巻第12号 (2000年12月)情報源のサイトへ      
2001 大気水圏科学研究所を廃止。環境学研究科、地球水循環研究センターを設置情報源のサイトへ      
2001 日本学術振興会 未来開拓学術研究推進事業 複合部門「生命情報」推進委員情報源のサイトへ      
2001 表明された文部科学省の方針に基づき情報源のサイトへ      
2001 日本機械学会ROBOMEC賞 2件情報源のサイトへ      
2001 『留学生の教育・研究に関わるコミュニケーションと人間関係—名古屋大学大学院留学生へのアンケート調査報告書』(2001年)情報源のサイトへ      
2001/4 この間,フルブライトプログラムによるワシントン大学客員研究員情報源のサイトへ      
2001/9 「キャッシュフロー会計の展開」 『会計プログレス』 第2号 (2001年9月)情報源のサイトへ      
2001/10 理化学研究所独立主幹研究ユニットリーダー情報源のサイトへ      
2001/12 「財務会計の展望—三つの情報会計論—」 中村忠編著 『制度会計の変革と展望』 (白桃書房,2001年12月)情報源のサイトへ      
2002 名古屋大学大学院教育学研究科博士課程後期課程満期退学。情報源のサイトへ      
2002 医学研究科を医学系研究科と改称。大型計算機センターおよび関連施設を改組し、情報連携基盤センターを設置情報源のサイトへ      
2002 文部科学大臣賞(研究功績者)情報源のサイトへ      
2002 丸文研究交流財団 丸文研究奨励賞情報源のサイトへ      
2002 名古屋大学出版会発行、名古屋大学日本語教育研究グループ編)情報源のサイトへ      
2003 スクールカラー情報源のサイトへ      
2003 米国ラボラトリーオートメーション学会、功績賞 「マイクロ光造形法の創製とその応用に関して」情報源のサイトへ      
2003 名古屋大学の軌跡—国際社会との知的交流—  (2003年)情報源のサイトへ      
2003 人間情報学研究科と工学研究科情報工学専攻を統合改組して情報科学研究科を設置。情報源のサイトへ      
2003 『国際交流拠点としての留学生センター 名古屋大学留学生センター外部評価報告書』(2003年)情報源のサイトへ      
2004 設置されたエコトピア科学研究機構を前身とし情報源のサイトへ      
2004 からは、国立大学法人名古屋大学として新たな設置・運営形態の国立大学となりました。情報源のサイトへ      
2004 .1 エコトピア科学研究所情報源のサイトへ      
2004 江戸・明治期における可能を表す「得」の用法」、『近代語研究』、第12集、pp.275-289、2004年情報源のサイトへ      
2004 7. 情報源のサイトへ      
2004 グローバルCOEプログラム情報源のサイトへ      
2004 日本ME学会秋季大会審査員委員長特別賞情報源のサイトへ      
2004 レーザー精密微細加工国際シンポジウム(LPM2004) 最優秀論文賞情報源のサイトへ      
2004 より現在 名古屋大学 高等研究院 研究員併任情報源のサイトへ      
2004 総長特別講義記録— 情報源のサイトへ      
2004 より現在 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CRESTタイプ プロジェクトリーダー情報源のサイトへ      
2004 ( pdf 47KB)情報源のサイトへ      
2004 〜現在)情報源のサイトへ      
2004 〜)情報源のサイトへ      
2004/3 「地球通貨の会計に関する予備的考察」『経済科学』第51巻第4号(2004年3月)情報源のサイトへ      
2004/4 東北大学大学院農学研究科寄付講座教授情報源のサイトへ      
2004/5/8 「京都教育大学・名古屋大学 ギターマンドリンクラブ 春の合同演奏会」情報源のサイトへ      
2005 日本コンピュータ外科学会講演論文賞(最優秀賞・講演論文賞)情報源のサイトへ      
2005 より現職情報源のサイトへ      
2005 夏に取り壊され、新たにFronte(フロンテ)が建てられた。この建物はこれまでの生協の剰余金(いわゆる利益)のみを利用して建設された情報源のサイトへ      
2005 『戦争の記憶をさかのぼる』、単著、筑摩書房(ちくま新書)、2005年情報源のサイトへ      
2005 設置された研究所である。これは学内措置による設置であったが、文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会の審議を経た情報源のサイトへ      
2005  「近代邦訳聖書における二人称代名詞 ―ヘボン・ブラウン訳聖書における「あなた」―」、『国語学論集』(汲古書院)、pp.635-648、2005年情報源のサイトへ      
2005 文部科学大臣表彰 若手科学者賞情報源のサイトへ      
2005/5 「財務諸表の連携と財務報告—日本の選択」『企業会計』第57巻第5号(2005年5月)情報源のサイトへ      
2005/7 名古屋大学大学院工学研究科量子工学専攻教授情報源のサイトへ      
2006 生体医工学シンポジウム2006ベストリサーチアワード情報源のサイトへ      
2006 文部科学大臣により中期目標の変更が提示され、正式に附置研究所と定められた。エコトピア(EcoTopia)とは、ecologyとutopiaの合成語で、環境に配慮した理想郷、環境調和型社会といったような意味である情報源のサイトへ      
2006 『感覚の近代 ──声・身体・表象』、単著、名古屋大学出版会、2006年情報源のサイトへ      
2006 グッドデザイン賞(新領域部門)情報源のサイトへ      
2006 夏季長期休暇中を中心に改修され、Dining Forestとして情報源のサイトへ      
2006 採択 現代GP「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」名古屋大学 現代GPキャリア支援・教育開発センター情報源のサイトへ      
2006 江戸・明治期における漢文訓読の展開 ―訓読から音読へ―」、『近代語研究』、第13集、pp.177-192、2006年情報源のサイトへ      
2006 〜現在)情報源のサイトへ      
2006 〜現在)情報源のサイトへ      
2006 「漢文訓読史上の鈴木朖 ―過去・完了の助動詞の用法の変遷―」、『文莫』、第28号、pp.23-40、2006年情報源のサイトへ      
2006 丸文研究交流財団 丸文学術特別賞情報源のサイトへ      
2006 『国際会計論』税務経理協会,2006年情報源のサイトへ      
2006/3 「財務情報の信頼性とキャッシュフロー計算書」『経済科学』第53巻第4号 (2006年3月)情報源のサイトへ      
2006/5 現在、日本の大学生協では最大の書籍を陳列している理系専門書店である。カフェにはパソコンを利用するスペースがあり、名古屋大学無線ネットワーク実証実験(nuwnet)を利用してインターネットへ接続することも可能となっている情報源のサイトへ      
2006/5 今まで理系書を取り扱ってきた北部書籍が移転する形で、Books Fronte、そして建物内で隣接するCafe Fronteがオープンした。Books Fronteは情報源のサイトへ      
2006/7/24 開店したファミリーマート名古屋大学は、日本初となるコンビニエンスストアと国立大学の産学連携の試みの一環として設置された。店内では通常のコンビニエンスストアとしての機能を持つほか、研究発表用の「マルチスタディールーム」が設けられている情報源のサイトへ      
2006/10/2 オープンした。情報源のサイトへ      
2007 ファミリーマート名古屋大学店情報源のサイトへ      
2007 『検証会社法』(共編著)(信山社・2007年)情報源のサイトへ      
2007 である。[15]情報源のサイトへ      
2007 『フィルム・アート――映画芸術入門』(デイヴィッド・ボードウェル、クリスティン・トンプソン著)、監訳、名古屋大学出版会 『増殖するペルソナ――映画スターダムの成立と日本近代』、単著、名古屋大学出版会、2007年情報源のサイトへ      
2007 同 准教授、現在に至る学位:博士(文学)(京都大学:情報源のサイトへ      
2007 本学大学院人間生活科学研究科教授、名古屋大学医学部、愛知医科大学非常勤講師、現在に至る。情報源のサイトへ      
2007/4 名古屋大学エコトピア科学研究所教授情報源のサイトへ      
2008 開催された第49回名大祭の模擬店において、大規模な食中毒が発生した。情報源のサイトへ      
2008 後期の「キャリア形成論」(名古屋大学全学同窓会寄附講義)が、前期に引き続き情報源のサイトへ      
2008 閲覧。情報源のサイトへ      
2008 『ラジオ放送局(コレクション・モダン都市文化32)』、編著、ゆまに書房、2008年情報源のサイトへ      
2008 後期)名古屋大学全学同窓会寄付講義情報源のサイトへ      
2008 . "中日新聞:名大に正門なぜない? 戦争挟み計画から消滅:愛知(CHUNICHI Web)" (日本語).情報源のサイトへ      
2008 現在、関係者に4名のノーベル賞受賞者がいる。そのうち、名古屋大学が博士号を授与した者は3名で、学士号を授与した卒業生は2名となっている情報源のサイトへ      
2008 『「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語』、共著、勉誠出版、2008年情報源のサイトへ      
2008/4 より慶應義塾大学理工学部生命情報学科教授。情報源のサイトへ      
2008/4 現在)。年間利用者は中央館のみで延べ約70万9千人、貸出冊数は約13万3千冊情報源のサイトへ      
2008/9/29 付朝刊、市民版(第18面)情報源のサイトへ      
2008/10/9 朝刊” (日本語). 朝日新聞 情報源のサイトへ      
2008/11/30 第50回名大祭においては原因調査と再発防止体制確立の為、飲食物を取り扱う企画の自粛対応がなされた。[19]情報源のサイトへ      
2009 閲覧。情報源のサイトへ      
2009/8 創立説と呼ばれる(「情報源のサイトへ      

あしたね年表について

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