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名古屋城(なごやじょう)

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年月日 できごと 写真
1864 名古屋城年表(1864年~ 情報源のサイトへ
1864/8 第14代尾張藩主慶勝、第1次征長総督(長州藩討伐軍の総督)として大坂城に出陣する。 情報源のサイトへ
1867 (1867年) 情報源のサイトへ
1867/10 二条城で奉還 情報源のサイトへ
1867/12 王政復古の宣言が行なわれ、新政府が樹立される。 情報源のサイトへ
1868 (1868年) 情報源のサイトへ
1869 (1869年) 情報源のサイトへ
1869/6 版籍奉還が行なわれ、第16代藩主徳川義宣藩知事になる。 情報源のサイトへ
1870 (1870年) 情報源のサイトへ
1871 政府に献納され、東京の宮内省に納められた。その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は 情報源のサイトへ
1871 (1871年) 情報源のサイトへ
1871/4 金鯱が天守閣から降ろされ、熱田から蒸気船で東京へ運ばれる。 情報源のサイトへ
1871/7 廃藩置県により、名古屋県となる。 情報源のサイトへ
1872/5 東京鎮台第三分営業(名古屋鎮台)が名古屋城内におかれる。 情報源のサイトへ
1873 ウィーン万国博覧会に出品された。金鯱が大天守に戻ったのは 情報源のサイトへ
1873 名古屋城内は陸軍省の所管となり明治6年 情報源のサイトへ
1873 名古屋鎮台が置かれた。 情報源のサイトへ
1873/2 金鯱が名古屋城天守閣にかえる。 情報源のサイトへ
1876 場外に移転されました。 情報源のサイトへ
1876 三之丸は、江戸時代には上級武士の屋敷や、東照宮や亀尾天王社(現在の那古野神社)などが建ち並んでいました。明治時代に入ると、上級武士の屋敷は取り壊され、東照宮や亀尾天王社は明治9年 情報源のサイトへ
1877 名古屋城地図明治末頃の名古屋城地図大政奉還によって徳川政権が滅亡し明治政府が樹立されると、全国的に城の取り壊しが行われました。 情報源のサイトへ /oosakazen1.jpg
1879 (1879年) 情報源のサイトへ
1879/2 である。 情報源のサイトへ
1879/12 陸軍卿山県有朋が、陸軍大佐中村重遠の進言により城郭の保存を決定する 情報源のサイトへ
1880 (1880年) 情報源のサイトへ
1886 名古屋鎮台(明治19年) 情報源のサイトへ
1887 頃までに行われたと思われる。 情報源のサイトへ
1888 名古屋鎮台は第三師団と改称された。解体された二之丸御殿の跡には歩兵第六連隊、三之丸には第三師団の歩兵連隊、騎兵連隊、砲兵大隊、輜重兵(しちょうへい)大隊、師団司令部、旅団指令部、衛戌(えいじゅ)病院などが置かれた 情報源のサイトへ
1891 濃尾大地震により、本丸の西南隅櫓や多聞櫓の一部が倒壊したが、天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。 情報源のサイトへ /noubi11.jpg /noubi13.jpg
1891/10 濃尾大地震により西南隅櫓、多門塀等が大破する。 情報源のサイトへ /noubi11.jpg /noubi13.jpg
1893 (1893年) 情報源のサイトへ
1893 名古屋天守閣と本丸御殿のある本丸は、宮内省に所管が移され皇室関係者が利用する名古屋離宮になった。 情報源のサイトへ
1893 本丸は御料地となり 情報源のサイトへ
1893/6 名古屋名古屋離宮となる。 情報源のサイトへ
1902 (1902年) 情報源のサイトへ
1906 (1906年) 情報源のサイトへ
1906/5/20 全国鉄道五千哩大祝賀会で名古屋城が特別公開される 情報源のサイトへ
1910 旧江戸城蓮池門を移築して正門と改称したが、焼夷弾で焼失し、戦後再建された。現在の正門がこれである 情報源のサイトへ
1910 西丸の建築物はすべて明治年間に取り壊され、榎多御門のみは1910年 情報源のサイトへ
1910 (1910年) 情報源のサイトへ
1910/3 小天守閣、各隅櫓の屋根へ旧江戸城の青銅製鯱が移される。 情報源のサイトへ
1911 (1911年) 情報源のサイトへ
1911 大曽根と瀬戸との間を結んでいた瀬戸電気鉄道が、名古屋城西側の堀川の水運を利用した瀬戸物輸送の便と名古屋官庁街への乗り入れを図り、1911年 情報源のサイトへ
1911/2 旧江戸城蓮池御門を移築して、名古屋城正門とする。 情報源のサイトへ
1911/5/23 土居下〜大曽根間 情報源のサイトへ
1911/10/1 堀川〜土居下間を開業させた。土居下駅は三の丸北東部の外堀にかかった位置にあり、そこから外堀の中を通って南下し、南東隅部で右折して西進し、南西隅部の堀川駅まで複線線路が敷かれていた 情報源のサイトへ
1913 第3師団司令部(大正2年) 情報源のサイトへ
1914 (1914年) 情報源のサイトへ
1917 (1917年) 情報源のサイトへ
1923 (1923年) 情報源のサイトへ
1927 名古屋離宮(昭和2年) 情報源のサイトへ
1929 (1929年~ 情報源のサイトへ
1930 (以上4棟は1930年 情報源のサイトへ
1930 宮内庁から名古屋市に下賜され、やっと一般に公開されることになりました。 情報源のサイトへ
1930 離宮は廃止となると同時に御殿は国宝に指定された。この経過から判断すると、明治以後の改修は主として 情報源のサイトへ
1930/12 元離宮名古屋城内城郭24棟を国宝(旧国宝)に指定する。 情報源のサイトへ
1931 (1931年) 情報源のサイトへ
1932 名古屋城地図 情報源のサイトへ
1932 (1932年) 情報源のサイトへ
1932/5 名古屋城の実測調査を実施する。 情報源のサイトへ
1932/7 西之丸にある「榧の木」が国の天然記念物に指定される。 情報源のサイトへ
1933 市庁舎が 情報源のサイトへ
1933 昭和時代を迎えると騎兵連隊は守山に移転し、その跡地に昭和8年 情報源のサイトへ
1936 (1936年) 情報源のサイトへ
1937 消失前の名古屋城(昭和12年) 情報源のサイトへ
1938 庁舎が移転新築されました。また輜重兵(しちょうへい)大隊跡地には愛知護国神社が建設されました 情報源のサイトへ
1939 名古屋鉄道と合併して名鉄瀬戸線となったが、戦後、瀬戸線の栄地区への乗り入れが決定し、工事が着工された 情報源のサイトへ
1939 瀬戸電気鉄道は、1939年 情報源のサイトへ
1941 名古屋城地図 情報源のサイトへ
1941 (1941年) 情報源のサイトへ
1941/12 太平洋戦争はじまる 情報源のサイトへ /img_1.jpg /img_2.jpg
1942 (1942年) 情報源のサイトへ
1942/6 本丸御殿障壁画の一部が国宝(旧国宝)に指定される。 情報源のサイトへ
1945 三河地震名古屋天守阁烧毁、战争结束、美军进驻名古屋 情報源のサイトへ /f6-3-1-1.jpg
1945 戦災で焼失した。本丸御殿障壁画の一部(壁貼付絵などの移動不可能だったもの)も同時に焼失した 情報源のサイトへ
1945 第二次世界大戦前は、旧国宝24棟をはじめ、多数の建造物が城内を埋め尽くしていたが、1945年 情報源のサイトへ
1945 よって天守群と御殿を焼失し、戦後に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されている。 情報源のサイトへ
1945 空襲で焼夷弾が、金鯱を下ろすために設けられていた工事用足場に引っかかり、そこから引火して焼失したといわれている。 情報源のサイトへ
1945 徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年 情報源のサイトへ
1945/1 「猿面茶席」が空襲により焼失する。 情報源のサイトへ
1945/5/14 8時20分頃、陸軍のB-29による焼夷弾により天守を含むほとんどを焼失した。 情報源のサイトへ
1945/5/14 名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて大火災を起こし焼失した。軍はあくまで誤爆だったとしている 情報源のサイトへ
1945/6 別置されていた本丸御殿障壁画の一部を灰宝神社(現豊田市)へ疎開させる。 情報源のサイトへ
1945/7 末から 情報源のサイトへ
1945/8 初めにかけて行われる夏祭りである。城内で、薪能や楽市・楽座などが催される 情報源のサイトへ
1945/8/15 終戦(ポツダム宣言受諾) 情報源のサイトへ
1946 (1946年) 情報源のサイトへ
1949 新制大学の設置により、旧制高校、旧制専門学校、師範学校は新制大学に包括されました。名古屋城二之丸には名古屋大学の本部、教育、文学、法学部が置かれ、のちに東山キャンパスに移転するまで高等教育の場となっていました 情報源のサイトへ
1950 文化財保護法施行に伴い重要文化財となる。) 情報源のサイトへ
1950 (1950年) 情報源のサイトへ
1950/8 西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門、本丸御殿障壁画の旧国宝指定分が国の重要文化財に指定名称替えされる。 情報源のサイトへ
1950/12/31 から 情報源のサイトへ
1952 052/242/6363 情報源のサイトへ
1952 すべて重要文化財である。また、昭和27年 情報源のサイトへ
1952/3/29 城域内が国の特別史跡に指定された。このほか、二の丸北側の石垣上に、「南蛮たたき」の工法で固められた土塀の遺構が現存している 情報源のサイトへ
1952/3/29 特別史跡に指定された。 情報源のサイトへ
1953 (1953年) 情報源のサイトへ
1955 (1955年) 情報源のサイトへ
1956 天井板絵331面が重要文化財に指定、369面が附指定されるに及び、これらが現在名古屋城に保管されている。 情報源のサイトへ
1956 (1956年) 情報源のサイトへ
1957 ◎○名古屋城愛知県名古屋市 1957年) 情報源のサイトへ
1957 名古屋市制70周年記念事業と位置づけられて間組により天守の再建が開始された。このとき、大天守を木造とするか否かで議論があったようだが、石垣自体に建物の重量をかけないよう配慮し、天守台石垣内にケーソン基礎を新設し、その上に鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC)造の大天守を載せる外観復元とし、起工式は 情報源のサイトへ
1958 名古屋地図敗戦とともに軍の進駐がはじまりました。名古屋でも名古屋三之丸白川公園情報源のサイトへ
1958 撤退するまで軍のキャンプが設置されました。 情報源のサイトへ
1958/6/13 竣工式は 情報源のサイトへ
1958/10/1 | by ライオンベラーさん 情報源のサイトへ
1959 天守は、地元商店街の尽力や全国からの寄付により1959年 情報源のサイトへ
1959/3 金鯱(二代目)大阪造幣局を出発する。 情報源のサイトへ
1959/9 伊勢湾台風襲来 情報源のサイトへ
1959/10/1 [8]のこととなった。再建大天守は5層7階、内部にはエレベータが設置されている 情報源のサイトへ
1959/10/3 名古屋城天守閣の再建工事が完了し、一般公開される。 情報源のサイトへ
1962/3 「博物館相当施設」の指定を受け、展示室や催事場として利用され、内外からの観光客の重要な観光ルートともなっている。 情報源のサイトへ
1964 (1964年) 情報源のサイトへ
1964 かけて、御深井丸の西北隅櫓の解体修理が行われ 情報源のサイトへ
1966 二之丸旧六連隊遺構の名古屋市への無償貸与に伴って、二之丸庭園の復元工事を行なって整備した。 情報源のサイトへ
1966/6/23 それぞれ重要文化財の指定を受けた。 情報源のサイトへ
1967 名古屋市に返還された。名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存している 情報源のサイトへ
1967 (1967年) 情報源のサイトへ
1972 (1972年) 情報源のサイトへ
1975 (以上二棟は1975年 情報源のサイトへ
1975 国の重要文化財に指定)を解体し、のち本丸地内東二之門の位置へ移築する。 情報源のサイトへ
1976/2/15 をもって堀川〜土居下間が休廃止された。現在、ごく一部を除いて鉄道施設は全て撤去されており、地表からはほとんど確認できないが、わずかにガントレットポイント跡をまたぐ本町橋の煉瓦アーチ、旧大津町駅駅舎跡へ降りる階段(立入禁止)などを観察することができる 情報源のサイトへ
1984 (1984年) 情報源のサイトへ
1984 から毎年東海ラジオで公開生放送されている。 情報源のサイトへ
1984/9 金鯱を天守閣から降ろす(名古屋城博)。 情報源のサイトへ
1986/10 名古屋城整備基本構想調査会(以下「基本構想調査会」という。)が設置され、基本構想部会および技術調査部会の専門部会により名古屋城の整備方向について検討がなされた 情報源のサイトへ
1989 (1989年) 情報源のサイトへ
1992 『復元大系日本の城4 東海』ぎょうせい、1992年 情報源のサイトへ
1994 本丸御殿も天守に続いての復元が目指されたが、実現の道のりは遠く、バブル崩壊等の資金難で一時は危機に瀕したこともあった。市民ボランティア団体・本丸御殿フォーラムが平成6年 情報源のサイトへ
1994/5/14 設立され 情報源のサイトへ
1995 ^ 西ヶ谷恭弘著『ポケット図鑑 日本の城』主婦の友社 1995年 情報源のサイトへ
1997 国の登録有形文化財に登録された。 情報源のサイトへ
1997 ^ 西ヶ谷恭弘監修『日本の城 [戦国〜江戸]編』世界文化社 1997年 情報源のサイトへ
1997/6 伊勢湾台風により名古屋市をはじめとした東海地方全域に大きな被害を受けている。 情報源のサイトへ
1998/2 徳川家康名古屋城築城に着手。1612 情報源のサイトへ /20071013-%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7.jpg
1998/4 初代の城主として義直が駿府より移り居を定め、その後 情報源のサイトへ
1998/8/28 開催 情報源のサイトへ
1998/12 頃までには本丸・天守が竣工したものと考えられている。 情報源のサイトへ
2000 名古屋城 尾張を守護する金の鯱』学習研究社、2000年 情報源のサイトへ
2002 から再建基金の寄付を募った。 情報源のサイトへ
2003 名古屋の金鯱に由来するもの 情報源のサイトへ
2003 愛知県名古屋市中区3/9/6 情報源のサイトへ
2004 までは財団法人 情報源のサイトへ
2005 日本国際博覧会協会が連携協力として参加していた時期がある。 情報源のサイトへ
2005/3/24 開会した愛・地球博の開会式典で展示された。これまでにも名古屋城博覧会開催により、天守から地上に降ろして名城公園内の博物館に展示された事はあった(今回の場合は愛・地球博に併せて開催された新世紀・名古屋城博のための展示だった)が、外部施設での展示は 情報源のサイトへ /N1.1.16_2_20041213170653.jpg /N1.1.16_1_20041213170653.jpg
2006 『戦国の堅城II 戦略・戦術に応じた多彩な城郭群』学習研究社、2006年 情報源のサイトへ
2006 からは名古屋城宵まつりとして開催される。 情報源のサイトへ
2006/4/6 日本100名城(44番)に選定され 情報源のサイトへ
2007 本丸御殿復元の許可が文化庁よりあった。現在 情報源のサイトへ
2007/1/6 名古屋に行ってきました。 情報源のサイトへ
2007/5/12 | by あにゃすけさん 情報源のサイトへ
2007/6 から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。 情報源のサイトへ
2007/10/30 どこの花見に行こうかな。 情報源のサイトへ
2007/11/19 付け朝日新聞より。 情報源のサイトへ
2008 着工されることが決まっています。 情報源のサイトへ
2008 再建工事を着工し 情報源のサイトへ
2008 名古屋を見学してきました。京都・大坂方面へは何度となく行っていますが、いつも名古屋は外側を通過するばかりで、今回、中心地はむろん名古屋は初めての訪問です 情報源のサイトへ
2008/3/30 ですが/名城公園でチューリップ 2008 情報源のサイトへ
2008/6 | 愛知県の城 | 名古屋市の重要文化財 | 名勝 | 特別史跡 | 愛知県にある国指定の史跡 | 名古屋市の建築物 | 名古屋市の観光地 | 名古屋市の歴史 | 中 (名古屋市) | 北 (名古屋市) | 現存建築のある日本の城跡 情報源のサイトへ
2008/10/1 旅です。) … もっと見る) 情報源のサイトへ
2009/5 以上 情報源のサイトへ
2009/1/19 着工した。 情報源のサイトへ
2009/4 天守屋根に載る現在の金鯱(2009年4月) 情報源のサイトへ
2009/4/19 第15回「春姫道中」の為、駐車してるのが名城公園近辺なので 情報源のサイトへ
2009/5/4 旅行時期2009年05月04日〜 情報源のサイトへ
2009/5/5 | by 風に吹かれて旅人さん 情報源のサイトへ
2009/5/5 名古屋駅前一帯で開催される 情報源のサイトへ

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