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北海道大学

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年月日 できごと 写真
1875 同校札幌学校が発足(北海道石狩国札幌札幌)。 情報源のサイトへ
1875 (1875) 情報源のサイトへ
1876 創設されました。その後、日本の最上位の国立高等教育機関および研究機関として設置された7帝国大学の一つとなり、現在では日本のトップレベルの研究主導型総合大学となっています 情報源のサイトへ
1876 北海道大学の歴史の最初の頁は,1876(明治9年) 情報源のサイトへ
1876/7 W・S・クラーク博士着任(7月) 情報源のサイトへ
1876/8 日本最初の近代的大学である札幌農学校の開校式によって開かれました。開拓使の招聘により同校の教頭として赴任したマサチューセッツ農科大学長ウィリアム・S・クラーク先生は,在任期間はわずか9か月でしたが,「Boys, Be Ambitious!」の言葉とともに,本学の歴史に大きな足跡を残しております 情報源のサイトへ
1882 (1882) 情報源のサイトへ
1886 (1886) 情報源のサイトへ
1895 (1895) 情報源のサイトへ
1900 頃であり 情報源のサイトへ
1900 有島が作詞をしたのは1900年 情報源のサイトへ
1900 行なわれた創立25周年記念祝賀会で歌われたとする資料がある。当時有島は農学校の学生であったため、現在でも校歌作詞者を記す時には「有島武郎君作歌」というように君付けで表記されることが多い 情報源のサイトへ
1907 東北帝国大学設置(宮城県仙台市)。札幌農学校は札幌所在のまま東北帝国大学農科大学となり、予科を付設 情報源のサイトへ
1907 (1907) 情報源のサイトへ
1918 設置された。大学の略称は北大(ほくだい) 情報源のサイトへ
1918 帝国大学としては5番目に設立された北海道帝国大学(北海道札幌区)を前身とする大学である。 情報源のサイトへ
1919 (1919) 情報源のサイトへ
1926 (1926) 情報源のサイトへ
1926 建てられた日本初のスキーヒュッテ。老朽化により倒壊後 情報源のサイトへ
1927 (1927) 情報源のサイトへ
1929 (1929) 情報源のサイトへ
1933 以来、アイヌ人類学の学術研究のためアイヌ人骨を収集し、長年保持してきましたが 情報源のサイトへ
1933 (1933) 情報源のサイトへ
1937 (1937) 情報源のサイトへ
1937/10 学内措置で北方文化研究室を設置しました。北方文化研究室の組織上の特徴は、専任の研究員をおかずに北方文化に関心を有する学内の研究者に広く門戸を開き、共同研究施設として、北方文化の総合的な研究を図ろうとしたことでありました 情報源のサイトへ
1939 から 情報源のサイトへ
1941 設立され、雪氷学や低温生物学の研究をリードしてきた低温科学研究所をはじめとした、3附置研究所のほか、27 の研究センターがあります。学生、職員22,000人が集う研究主導型の総合大学です 情報源のサイトへ
1941 (1941) 情報源のサイトへ
1942 アイヌを保護の対象とみる時代的制約があるとはいえ、アイヌ史研究の古典ともいえる『アイヌ政策史』を刊行しています。 情報源のサイトへ
1942 まで刊行された『北方文化研究報告』に掲載された論文は、当時としては何れも独創性に富む力作ぞろいで、アイヌ民族に関する研究が多く見られます。また、北方文化研究室の嘱託研究員であった高倉新一郎は 情報源のサイトへ
1942/11 迄の在職期間中に「不定域イデアル」の着想を得た 情報源のサイトへ
1943 北方文化研究室の嘱託研究員に就任の後 情報源のサイトへ
1947 北海道帝国大学が北海道大学となる「国立大学法人北海道大学時代」 情報源のサイトへ
1947/4 法文学部を設置 情報源のサイトへ
1949 新制大学制度の施行に伴い、函館水産専門学校は北海道大学に包括され、農学部水産学科と併せ水産学部となった。その経緯から現在でも水産学部のみ函館のキャンパスを使用している(卒業式も同キャンパスで開催) 情報源のサイトへ
1949 法文学部専任講師となり、「アイヌ語・アイヌ文学」の講義を担当し 情報源のサイトへ
1950 公募による入選作を、創基120周年を機に修正を加え 情報源のサイトへ
1951 (1951) 情報源のサイトへ
1952 北方文化研究室は研究活動を再開し、『北方文化研究報告』を復刊して、北方地域の人類学、民俗・民族学、考古学、とりわけアイヌ民族に関する研究において独自の領域を開拓しました。その後 情報源のサイトへ
1953 (1953) 情報源のサイトへ
1957 (1957) 情報源のサイトへ
1961 文学部言語学講座教授在任中に病気で亡くなりました。在職中に大著『分類アイヌ語辞典』を刊行し、『アイヌ語法の研究』と併せて文学博士の学位を取得するとともに、アイヌ語研究の水準を高めるのに大きな貢献をなしております 情報源のサイトへ
1964 (1964) 情報源のサイトへ
1966 北方文化研究室と文学部のユーラシア研究室の合併・改組により、文学部に北方文化研究施設が付置され、考古学および文化人類学の二つの部門が設けられました。しかし 情報源のサイトへ
1972 (1972) 情報源のサイトへ
1972 冬季オリンピック開催地としても知られる185万人都市札幌の都心におよそ177万㎡の敷地を広げる札幌キャンパスは、美しい並木道、カモが羽を休める池などがあり、市民の憩いの場です。このほか北海道内各地に広大な演習林、日本の三大夜景に数えられる函館市には水産学のためのキャンパスを有し、その総面積は6億6000万㎡と、国内大学最大です 情報源のサイトへ
1974 同講師(1974〜 情報源のサイトへ
1974 (1974) 情報源のサイトへ
1974 職名:准教授最終学歴:北海道大学大学院農学研究科、博士(農学)担当授業:【学部】地域論、地域政策論、【大学院】地域産業論専門分野:地域経済学、協同組合学、農業経済学所属学会:日本農業経済学会 情報源のサイトへ
1979 北海道大学獣医学部卒業 情報源のサイトへ
1981 (1981) 情報源のサイトへ
1982/6 その取り扱いについて、北海道ウタリ協会から北海道大学に強い要請があり、同協会と話し合いがもたれました。その結果 情報源のサイトへ
1983 (1983) 情報源のサイトへ
1984 定期総会で、「アイヌ民族に関する法律(案)」を採択し、国に北海道旧土人保護法の廃止と新法の制定を要求してから 情報源のサイトへ
1984 「ウタリ問題懇話会」を設置しました。ウタリ問題懇話会の中に設けられた新法問題分科会は、当時の野村義一北海道ウタリ協会理事長をはじめアイヌ民族関係者と有識者によって構成され、法学者として、中村睦男(当時北海道大学法学部教授)、熊本信夫(北海学園大学法学部教授)、常本照樹(当時北海道教育大学札幌分校助教授・現北海道大学法学部教授)が参加しました 情報源のサイトへ
1984 北海道大学大学院獣医学研究科単位取得退学  情報源のサイトへ
1984/7 納骨堂を建立し、アイヌ人骨1,004体を納骨するとともに、医学部関係者を中心に行なった募金による基金を設け、北海道ウタリ協会の主催によりイチャルパを毎年行っております。 情報源のサイトへ
1985 (1985) 情報源のサイトへ
1985 米国マサチューセッツ総合病院呼吸器科留学、医学博士取得 情報源のサイトへ
1987 (1987) 情報源のサイトへ
1988 北海道大学病院第一内科助手 情報源のサイトへ
1988/3 提出した報告書は、諸外国の法制度を参照し、先住権を一つの根拠として、①差別を解消するための権利宣言、②人権擁護活動の強化、③アイヌ文化の振興、④自立化基金の創設、⑤民族問題の審議機関の創設を内容とする新法の制定を提言しました。北海道知事は、ウタリ問題懇話会の答申を受けて国にアイヌ新法の制定を要請したのであります 情報源のサイトへ
1992 北海道大学獣医学部卒業(実験動物学教室) 情報源のサイトへ
1994 山スキー部OB会により再建)、ヘルベチア・ヒュッテ、無意根小屋などの山小屋まであり、水産学部は1300トン級の練習船「おしょろ丸」など船舶数隻[7] を所有している。また、北海道以外にも和歌山県古座川町にも研究林(約429万m²)、[8]、東京千代田区丸の内にある「サピアタワー」内に東京オフィスを持つ 情報源のサイトへ
1994 (1994) 情報源のサイトへ
1994 より本日の報告者の1人である佐藤知己が担当しています。また、本日のパネリストである知里むつみさんは、知里真志保博士の姪に当たられます 情報源のサイトへ
1995 文学部が管理する古河講堂の一室から、人間の頭骨6体が発見された事件であります。文学部はこの件につき深い遺憾の意を表明するとともに、頭骨の由来に関し調査を始める一方で、関係者との話し合いに入った結果、1体は 情報源のサイトへ
1995 文学部の改組が行われた際に、北方文化研究施設は廃止され、新たに文学部・文学研究科に北方文化論講座が設けられ、今日に至るまで、北方地域ユーラシア日本、北アメリカ)の考古学、文化人類学、民族言語学の教育と研究を推進しております。 情報源のサイトへ
1995/3 内閣官房長官の私的諮問機関として「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が設置されました。元最高裁判事で憲法学者・法学者として著名な伊藤正己座長はじめ7名のメンバーで構成され、私もその一員に加わりました 情報源のサイトへ
1995/9/9 札幌市(北海道大学農学部) →大会プログラムへ 情報源のサイトへ
1996 韓国に返還し、また、3体は、サハリンポロナイスク地区先住少数民族代表者会議を受け入れ先とし 情報源のサイトへ
1996 旭川医科大学医学部卒業 情報源のサイトへ
1996 米国ワシントン大学呼吸器救急医療部門留学 情報源のサイトへ
1996/9 シンボルマークとして決定された。なお、起源については、恵迪寮のシンボルマークから発祥説と、ラグビー部のシンボルマークから発祥説がある 情報源のサイトへ
1997 北海道大学大学院医学研究科博士課程修了 医学博士取得 情報源のサイトへ
1997 版)の108番などにその例が見られる。 情報源のサイトへ
1997 ことでした。北海道ウタリ協会が 情報源のサイトへ
1997 阿部和厚、小笠原正明、西森敏之、細川敏幸:「北海道大学における教育業績の評価法」『高等教育ジャーナル?高等教育と生涯学習?』2号、143-162頁、1997年 情報源のサイトへ
1997/3/27 札幌地裁の二風谷ダム判決が出され、アイヌ新法を法理論的にバックアップする機能を果たしました。原告側弁護団で中心的な役割を果たした房川樹弁護士は、判決後に社会人学生として大学院法学研究科で先住民族法の研究に従事し、その後もアイヌ民族に関わる裁判で活躍しています 情報源のサイトへ
1997/5 アイヌ文化振興法が制定され、アイヌ文化の振興等を図るための施策の実施機関として、「財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」(谷本一之現理事長)が札幌に設置されて活動に当たっています。また、伝統的生活空間の再生については、法学研究科の長谷川晃をメンバーとするアイヌ文化振興等施策推進北海道会議での審議をもとに国においてイオル構想がまとめられ 情報源のサイトへ
1998 (1998) 情報源のサイトへ
1998/4/30 度からの着手が見込まれています。 情報源のサイトへ
1999 「軽種馬生産における家族経営と補完団体」北海道農業経済学会、北海道大学農学部 情報源のサイトへ
1999/3 『軽種馬生産における協同組合の機能と役割』北海道大学農学修士、学位論文、全119頁 情報源のサイトへ
2000 小笠原正明:「コアカリキュラムの現状と課題?北海道大学の場合?」『高等教育研究叢書』 60号、120-132頁、2000年 情報源のサイトへ
2000 北海道大学大学院修了、医学博士取得 情報源のサイトへ
2000 (2000) 情報源のサイトへ
2000/3 販売の多様化と農協の集荷・販売対応」坂下明彦・太田原高昭他「良質・野菜複合産地における担い手の性格と農協営農事業の展開方向-上川中央部・東川町を事例として-」『農経論叢(第56集)』北海道大学農学部、pp.117-120. 情報源のサイトへ
2001 版)の186番、救世軍歌 情報源のサイトへ
2001 キャンパスの北部を東西に貫く地下道路トンネル「環状通エルムトンネル」が開通した。 情報源のサイトへ
2001 秋、9-11頁 情報源のサイトへ
2001 北海道における法人経営の特質と経営意向」北海道農業経済学会、北海道大学農学部 情報源のサイトへ
2001 北海道大学大学院医学研究科呼吸器内科学 助手 情報源のサイトへ
2001/3 「軽種馬生産における家族経営の存立と補完団体の機能−北海道日高地方を対象に−」『農経論叢(第57集)』北海道大学農学部、pp.57-73. 情報源のサイトへ
2001/8 先端研究のための数学センター (代表:津田一郎) が開設された 情報源のサイトへ
2001/9 高岡秀夫が日本数学会賞建部賢特別賞を受賞した 情報源のサイトへ
2002 北海道大学病院 助手、医学博士取得 情報源のサイトへ
2002 〜    北海道大学大学院獣医学研究科実験動物学教室 教授 情報源のサイトへ
2002 米国Johns Hopkins大学喘息アレルギーセンター留学 情報源のサイトへ
2002/3 『転換期の軽種馬産業における農協の地域マネジメント機能−北海道日高の地域産業分析−』北海道大学博士(農学)学位論文、全173頁 情報源のサイトへ
2003 北海道における農協改革の課題」『政策の再編と農協改革北海道農業経済学会シンポジウム報告北海道大学 情報源のサイトへ
2003 米国呼吸器学会理事 情報源のサイトへ
2003 同 講師 情報源のサイトへ
2003 スクールカラー 情報源のサイトへ
2003 函館キャンパス(北海道函館港町3/1/1) 情報源のサイトへ
2003 医学部附属病院と歯学部附属病院を北海道大学病院として統合。 情報源のサイトへ
2003 研究代表者として総括 情報源のサイトへ
2003 〜     北海道大学大学院獣医学研究科 助教授 情報源のサイトへ
2003/3 「軽種馬産業集積産地における大規模企業的経営の事業構造−大規模企業的経営と産地競馬の関係性に注目して−」『農経論叢(第59集)』北海道大学農学部、pp.81-92. 情報源のサイトへ
2003/8 サハリンに返還し、埋葬と慰霊祭が執り行われております。残る2体につきましても、できるだけ早く丁重にお祀りすべく準備を進めているところであります 情報源のサイトへ
2003/11/7 札幌市(北海道大学百年記念会館) →大会プログラムへ 情報源のサイトへ
2004 グローバルCOEプログラム 情報源のサイトへ
2004 北海道大学が、中期計画(2004年度〜 情報源のサイトへ
2004 北海道大学が国立大学法人北海道大学となる北海道大学のより詳しい歴史はこちらをご覧下さい。http://www.hokudai.ac.jp/bureau/info-j/enkaku.html 情報源のサイトへ
2004 (2004) 情報源のサイトへ
2004 細川 敏幸、小笠原正明、西森敏之、岡部成玄、野坂政司、安住和久、高野伸、渡邊 智、高見敏子、伊藤直哉、川村 武:「e-Learningを大学教育にどう展開するか?e-Learning研究会報告?」『高等教育ジャーナル-高等教育と生涯学習-』(北海道大学高等教育機能開発総合センター紀要)12号、173-182頁、2004年 情報源のサイトへ
2004 からは、全学教育の科目として「アイヌ文化をもっとよく知ろう」と題する講義が、学内専任教員およびアイヌ民族を含む学外講師によって展開されています。また 情報源のサイトへ
2004/8/9 以降のもの)は過去ログとして残留 情報源のサイトへ
2004/9 台風の影響で大半が倒壊してしまったが、その後、若木の植樹を行うなどして整備し80mほどまで散策可能となった。 情報源のサイトへ
2004/12 ミーティングの詳細をアップ 情報源のサイトへ
2005 大学文書館を設置、公共政策大学院および会計専門職大学院を設置。 情報源のサイトへ
2005 からは、大学院の共通授業科目として、「先住民族研究特殊講義—アイヌと北方少数民族—」を開設し、先住民族と国家との間に横たわる諸問題を政治学、法律学、人類学、歴史学、考古学、教育学などの観点から複眼的に論ずることによって問題点の立体的な把握と今後取り組むべき課題を見出すことを目指し、文学研究科、法学研究科、教育学研究科に属する専任教員とアイヌ民族を含むゲストスピーカーの協力によって授業を展開しています。 情報源のサイトへ
2005 大内東、中戸川孝治、木村俊一、櫻井恒太郎、三上隆、北島秀夫、栗原正仁、村井哲也、片岡崇、河合剛、岡部正玄、小笠原正明、西森敏之、山岸みどり、細川敏幸:「情報教養教育の新展開−情報教養教育研究会報告書−」『高等教育ジャーナル−高等教育と生涯学習−』(北海道大学高等教育機能開発総合センター紀要)13号、95-104頁、2005年 情報源のサイトへ
2005 北海道大学病院第一内科 講師 情報源のサイトへ
2005 米国スタンフォード大学留学 情報源のサイトへ
2005 主な行事予定を掲載 情報源のサイトへ
2005/4/10 まで) 情報源のサイトへ
2005/6/22 北海道大学高等教育機能開発総合センター創立10周年記念国際シンポジウム「高等教育におけるカリキュラム改革とマネジメント」実行委員会委員長(2005年6月22日? 情報源のサイトへ
2005/7/10 北海道大学) 情報源のサイトへ
2005/10/21 札幌市(北海道大学農学部) →大会プログラムへ 情報源のサイトへ
2006 群馬県陸上競技選手権大会・第3回学連記録会の結果を掲載 情報源のサイトへ
2006 北海道大学高等教育機能開発総合センター教授(1995〜2006年) 情報源のサイトへ
2006 廃止) 情報源のサイトへ
2006 北海道大学獣医学部獣医学科卒業(学生会会長、獣医バレー部代表などを歴任) 情報源のサイトへ
2006/2 共著、坂下明彦・小山良太『北海道農業の地帯構成と構造変動』(牛山敬二・岩崎徹編、担当箇所:第3章第6節「農協による地域営農システムの展開」)北海道大学図書出版会、pp.224-234. 情報源のサイトへ
2006/3 体育館使用可能日についてを掲載 情報源のサイトへ
2007 小笠原正明、細川敏幸、西森敏之:「コアカリキュラムに関するアンケート調査」『高等教育ジャーナル−高等教育と生涯学習−』(北海道大学高等教育機能開発総合センター紀要)15号、123-129頁、2007年 情報源のサイトへ
2007 全国七大学対校戦本戦・オープン戦の結果を掲載 情報源のサイトへ
2007 函館キャンパス 情報源のサイトへ
2007 ハイデルベルグ大学留学 情報源のサイトへ
2007/3 移転した。)また、北京オフィスも所有する 情報源のサイトへ
2007/5/1 現在) 情報源のサイトへ
2008 〜     北海道大学大学院獣医学研究科GCOE技術補佐員(派遣) 情報源のサイトへ
2008 ヨーロッパ呼吸器学会 日本代表 情報源のサイトへ
2008/7/1 目)を更新。 情報源のサイトへ
2008/11/1 現在)81の国と地域から計1002人。出身地域別内訳はアジア 826人中東 16人大洋 4人アフリカ 46人欧 52人北米 20人中・南米 31人大学間交流協定20カ国・地域、54協定、59機関協定校に関する詳細はこちら大学間交流協定一覧(PDF)部局間交流協定24カ国・地域、121協定部局間交流協定一覧(PDF) 情報源のサイトへ
2008/11/30 史 (北海道大学理学部) 情報源のサイトへ
2009 中で、「北海道に立地する国立総合大学として、アイヌ民族を初めとする北方諸民族に関する教育を充実させる」ことを掲げています。これは、北海道大学がその責務を深く認識しているからのことであります 情報源のサイトへ
2009/6 北18条ロータリーからメインストリートを使った「北大祭」が盛大に、にかけて行うため訪れる観光客や市民も多い。このほか 情報源のサイトへ
2009/9 北海道大学俯瞰図(2009年9月) 情報源のサイトへ
2009/11 かけては恵迪寮祭も行われる。 情報源のサイトへ

あしたね年表について

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