あしたね年表 | 気になる人物や場所にまつわるできごとを調べてみよう!

気になる人物や場所にまつわるできごとを調べてみよう!

年表トップ > 大正時代以降の人物 > 佐藤栄作

ウェブサイト上の情報を調べて見出し情報をまとめた検索結果ページです。事実が正確に並べられた年表ではありませんのでご注意下さい。

佐藤栄作(さとうえいさく)

/sato.jpg

佐藤栄作(さとうえいさく)に関する本・DVD

Ads by Google

年月日 できごと 写真
1934/8 出発する  情報源のサイトへ
1945 大阪鉄道局長を務めていた。 情報源のサイトへ
1947 運輸相トップの運輸次官になりました。時に47歳の若さでした 情報源のサイトへ
1948 第二次吉田内閣の官房長官に、非議員の資格で、就任しました。 情報源のサイトへ
1949 衆議院議員に初当選しました。 情報源のサイトへ
1949/6 稲村佐近四郎 - 河本嘉久蔵 - 山崎平八郎 - 綿貫民輔 - 奥野誠亮 - 内海英男 - 野中英二 - 石井一 - 佐藤守良 - 西田司 - 東家嘉幸 - 井上孝 - 上原康助 - 羽田孜 - 左藤恵 - 小沢潔 - 池端清一 - 鈴木和美 - 伊藤公介 - 亀井久興 - 柳澤伯夫 - 井上吉夫 - 関谷勝嗣 - 中山正暉 - 扇千景 情報源のサイトへ
1949/6 稲村佐近四郎 - 河本嘉久蔵 - 古賀雷四郎 - 綿貫民輔 - 粕谷茂 - 坂元親男 - 井上吉夫 - 阿部文男 - 砂田重民 - 木部佳昭 - 伊江朝雄 - 北修二 - 上原康助 - 羽田孜 - 佐藤守良 - 小里貞利 - 小沢潔 - 高木正明 - 岡部三郎 - 稲垣実男 - 鈴木宗男 - 井上吉夫 - 川崎二郎 - 二階俊博 - 森田一 - 扇千景 情報源のサイトへ /Miyazawa.jpg
1954 造船疑獄事件で、吉田学校の優等生といわれた幹事長の佐藤栄作に逮捕状が請求されましたが、法相の犬養健による検察指揮権の発動により逮捕を免れました。 情報源のサイトへ /photo1.png /p143.jpg
1955 鳩山一郎らが中心になって、自由党と民主党が合同して、自民党が結成されました。この時、自民党入りを拒否した吉田茂に従って行動を共にしました 情報源のサイトへ /yotugi5.jpg /031.jpg /yoshida_shikishi.jpg
1958 第二次岸内閣の大蔵大臣に就任しました。 情報源のサイトへ
1963 第12・13代:1963年 情報源のサイトへ
1964/5 宿敵の大野伴睦が亡くなりました。74歳でした 情報源のサイトへ
1964/7 自民党臨時大会で、総裁公選が行われました。佐藤栄作と藤山愛一郎との間には、2位3位連合の約束がありました 情報源のサイトへ
1964/9 池田勇人首相は、喉頭ガンで、国立がんセンターに入院しました。後継首相となる自民党総裁は、川島正二郎副総裁と三木武夫幹事長が党内の意見を聞いて調整し、その報告をもとに病床の池田首相が指名するという手続をとりました 情報源のサイトへ /interview_img02.jpg
1964/10 池田首相は、辞意を表明し、後継総裁に佐藤栄作を推挙しました。 情報源のサイトへ
1964/11 佐藤栄作は、内閣総理大臣に就任しました。64歳でした 情報源のサイトへ
1965/1/12 よりアメリカのホワイトハウスで行われた首脳会談において、当時のアメリカのリンドン・ジョンソン大統領に対し、本の核武装を否定した上で、本が核攻撃を受けた場合には安全保障条約に基づいて核兵器で報復する、いわゆる「核の傘」の確約を求め、ジョンソンも「保障する」と応じたことが公開された外交文書から明らかとなっている。また、翌 情報源のサイトへ /01707840.jpg /01706970.jpg
1965/7 宿敵の河野一郎が亡くなりました。この時、「死んでたまるか」と言ったいわれています 情報源のサイトへ
1965/8 没)が病に倒れたことによって政権の座についた佐藤に対峙しうると考えられた政治家は、大野伴睦 情報源のサイトへ
1965/8/19 那覇空港で「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」との声明を発したことで知られる。他方 情報源のサイトへ
1967/3/27 佐藤栄作は、山口県熊毛郡田布施町で、酒造業を営む佐藤秀助と茂世の7人目の子(三男)として生まれました。 情報源のサイトへ
1967/6/17 佐藤栄作首相は、自民党の両院議員総会で引退を表明した後、首相官邸で内閣記者会と会見しました。その冒頭で、「テレビはどこだ? 情報源のサイトへ
1970 米より減反政策を始めました。 情報源のサイトへ
1970/3/31 赤軍派9人は、日航機よど号をハイジャックして、北朝鮮へ向かいましたが、対空放火とミグ戦闘機の追跡にあって南下し、韓国の金浦空港に着陸しました。犯人らは、機内にたてこもりました 情報源のサイトへ
1970/3/31 八幡製鉄・富士製鉄が合併して新日本製鉄が発足しました。資本金2293億6000万円・従業員8万人の巨大企業が復活しました 情報源のサイトへ
1970/4/13 京都府知事選で、社・共の推す蜷川虎三が6選を果たしました。 情報源のサイトへ
1970/4/14 アメリカの月探索船アポロ13号は、故障のため月着陸を断念し、着陸船を使って帰還しました。 情報源のサイトへ
1970/4/18 長沼ナイキ訴訟の民事訴訟で法務省は、福島重雄裁判長が青年法律家協会員であることを理由に忌避を申し立てました。 情報源のサイトへ
1970/4/19 松村謙三・周恩来は、覚書貿易協定に調印しました。席上、周恩来首相は、本の軍国主義復活を非難しました 情報源のサイトへ
1970/4/22 国税庁は、高額所得者を発表し、地主が上位を独占しました。 情報源のサイトへ
1970/4/22 アメリカのニクソン大統領は 情報源のサイトへ
1971 春まで15万人のベトナム撤兵を言明しました。 情報源のサイトへ
1971/1/4 金沢地・家裁の平沢吉判事補(35歳)は、「東大裁判を契機として平賀書簡問題など最高裁の動きが信頼できなくなった」として退官届を提出しました。 情報源のサイトへ /2570.jpg /ph2.jpg
1971/2/1 東邦亜鉛安中工場の女子従業員の遺体からカドミウムが検出されました。 情報源のサイトへ
1971/2/5 国会の裁判官訴追委員会は、全国の裁判官210人が訴追請求を受けている問題について、「青法協会員」だけを理由に裁判官訴追はできないと結論を下しました。 情報源のサイトへ
1971/2/17 京浜安保共闘は、真岡市で銃を強奪しました。 情報源のサイトへ
1971/2/19 衆議院は、政府に対する要望で物価対策が上位の物価問題を集中審議しました。 情報源のサイトへ
1971/2/26 赤軍派の重信房子(25歳)は、ベイルートへ出国しました。 情報源のサイトへ
1971/3/22 赤軍派幹部の坂東国男らは、資金獲得のため、宮城県泉市の相互銀行支店で、現金115万円を強奪しました。 情報源のサイトへ
1971/3/31 最高裁は、青年法律家協会加入の判事補宮本康昭の再任を拒否・裁判官志望の司法修習生7人の不採用を決定しました。これを司法の反動化といいます 情報源のサイトへ
1971/4/5 西ドイツは、ドル売りに対抗して為替市場を閉鎖しました。 情報源のサイトへ
1971/4/11 第7回統一地方選が行われ、大阪で黒田了一が当選し、革新知事が誕生しました。東京で、美濃部亮吉が再選しました 情報源のサイトへ /01_maturi_3_m.jpg /img044.jpg
1971/4/16 天皇・皇后は、広島原爆碑に初めて参拝しました。 情報源のサイトへ
1971/4/23 佐藤首相は、軍国主義化は誤解と反論しました。 情報源のサイトへ
1971/4/29 三菱化成黒崎工場は、がんの集団発生を13年間隠匿していたことが判明しました。 情報源のサイトへ
1971/5/3 創価学会総会で、池田大作会長は、出版妨害問題を反省し、公明党との「政教分離」を表明しました。 情報源のサイトへ
1971/5/6 西ドイツは、変動相場制に移行しました。 情報源のサイトへ
1971/5/12 クライスラー社は、三菱重工業の子会社である三菱自動車工業への資本参加契約に調印しました。 情報源のサイトへ
1971/5/14 名古屋地裁は、津市の市立体育館の公費による神式地鎮祭を違憲と判断しました。 情報源のサイトへ
1971/5/16 ベ平連系の在日アメリカ人ら1200人は、アメリカ大使館前で、軍のカンボジア侵攻抗議のデモを行いました。 情報源のサイトへ
1971/5/19 沖縄全軍労など54組合は、沖縄返還協定反対で、初の24時間ゼネストを実施しました。 情報源のサイトへ
1971/6/2 韓国で詩人の金芝河が反共法違反で逮捕されました。 情報源のサイトへ
1971/6/6 部落解放同盟正常化全国連絡会議が結成されました。 情報源のサイトへ
1971/6/15 森永砒素ミルク事件で、森永側の弁護団が初めて原因が粉ミルクであったと認めました。 情報源のサイトへ /morinaga.JPG /mamorukaikaigi.JPG
1971/6/17 沖縄返還協定の調印式が行われましたが、琉球政府屋良苗主席は欠席しました。協定は、(1)軍基地は存続(2)秘密協定で鮮有事の際の日本基地からの軍出撃を認めるというものでした 情報源のサイトへ
1971/6/22 通産相の宮沢喜一は、ワシントンで、商務長官のスタンズと会談し、の対輸出規制につき繊維交渉を開始しました 情報源のサイトへ /ihin10.jpg /kokubo.jpg
1971/6/23 安保条約が自動延長され、反安保統一行動に77万人が参加しました。 情報源のサイトへ
1971/6/26 公明党大会は、創価学会との政教分離をはかる新綱領を採択しました。 情報源のサイトへ
1971/6/27 第9回参議院選挙が行われ、自民党62人、社会党39人、公明党10人、民社党6人、共産党6人、無所属2人が当選しました。 情報源のサイトへ
1971/6/30 富山地裁は、イタイイタイ病慰謝料請求訴訟で、カドミウムが原因と認定し、三井金属鉱業に慰謝料支払を命令しました。 情報源のサイトへ
1971/7/1 環境庁が発足し、初代長官に山中貞則が就任しました。 情報源のサイトへ
1971/7/1 日本繊維産業連盟は、輸出量増加を年5〜6%に抑制するという対輸出の自主規制を実施しました。 情報源のサイトへ
1971/7/5 佐藤首相は、第3次内閣改造を行いました。法相に前尾繁三郎、外相に福田赳夫、蔵相に水田三喜男、農相に赤城宗徳、通産相に田中角栄、運輸相に丹羽喬四郎、労相に原健三郎、建設相に西村英一、官房長官に竹下登、北海道開発庁長官に渡海元三郎、防衛庁長官に増原恵市、科学技術庁長官に平泉渉、環境庁長官に大石武一らが就任しました 情報源のサイトへ /071016-03a.gif /077.jpg
1971/7/7 共産党大会は、委員長に宮本顕治、書記局長に不破哲三を選出しました。 情報源のサイトへ
1971/7/9 アメリカ大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーは、パキスタンのヤヒア・カーン大統領の斡旋で極秘に中国を訪問しました。 情報源のサイトへ
1971/7/11 いすゞ自動車工業は、のゼネラル=モーターズと資本提携協定調印しました。 情報源のサイトへ
1971/7/14 佐藤内閣は、日本の呼称を「ニッポン」に統一しました。 情報源のサイトへ
1971/7/17 東京地裁は、家永教科書裁判で、文部省に不合格処分取消しを命じました。 情報源のサイトへ
1971/7/17 参議院改革を掲げる河野謙三は、自民党の一部と野党の支持をうけ参議院議長に当選しました。その結果、議長重宗雄三による 情報源のサイトへ /060209.jpg /administrative0011.jpg
1971/7/18 東京都杉並区高校運動場で、女生徒40人は、吐き気などを訴えて倒れ、近くの病院に運ばれました。「原因は光化学スモッグのオキシダントと硫酸スミトによる複合汚染であると推定される」と発表されました 情報源のサイトへ /shisetsu44.jpg /2009022412133674026.jpg
1971/7/18 防衛庁は、企業限定など防衛産業の育成策を発表しました。 情報源のサイトへ
1971/7/31 中央公害対策本部が設置されました。 情報源のサイトへ
1971/8/2 銀座新宿池袋浅草の繁華街で、車を締め出す「歩行者天国」がスタートしました。 情報源のサイトへ
1971/8/4 中核派に拉致された革マル派の東京教育大生が死体となって発見される。以後、両派の内ゲバが激化しました 情報源のサイトへ
1971/8/9 静岡県田子で、ヘドロ公害追放の住民抗議集会が開かれました。 情報源のサイトへ
1971/8/10 愛知揆一外相は、参議院で、石油会社の尖閣列島の油田調査への中国国民政府の許可に抗議したと答弁しました。以後、尖閣列島の帰属問題に発展しました 情報源のサイトへ
1971/8/11 富士市公害対策市民協会などは、田子ノ浦のヘドロ公害で、大手4製紙会社と知事を告発しました。 情報源のサイトへ
1971/8/13 総評大会は、議長に市川誠、事務局長に大木正吾を選出しました。 情報源のサイトへ
1971/9/1 佐藤内閣は、第3次資本自由化措置を実施し、その結果、自由化率は80%強となりました。 情報源のサイトへ
1971/9/7 厚生省は、キノホルムがスモンの原因の疑いがあるとして使用と販売の中止を通達しました。 情報源のサイトへ
1971/9/20 有明海の漁民は、カドミウム汚染に抗議して、三井三池精練所の正門前に、汚染した赤貝を撒きました。 情報源のサイトへ
1971/10/20 佐藤内閣は、初の防衛白書「日本の防衛」を発表しました。 情報源のサイトへ
1971/10/21 国際反戦デーで、京橋の水谷公園でヘルメットをかぶった女性たちは、「男は立ち入り禁止」の集会を開きました。これが日本でのウーマンリブの初めといわれます 情報源のサイトへ
1971/10/24 アメリカを訪問している佐藤首相は、ニクソン大統領と会談し、繊維交渉再開で合意しました。 情報源のサイトへ
1971/10/26 徴兵拒否でヘビー級チャンピオンのライセンスを剥奪されていたモハメド・アリが復帰し、ジェリー・クォーリーにTKO勝ちしました。 情報源のサイトへ
1971/11/13 鹿島工業地帯でアンモニアが噴出し、数百人が中毒となりました。 情報源のサイトへ
1971/11/19 経団連など3団体は、公害罪法案に反対を表明しました。 情報源のサイトへ
1971/11/25 三島由紀夫(45歳)らは、市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に押し入って、演説を行ったあと割腹自殺しました。三島由紀夫は、国家主義の立場で、自衛隊を合憲とする憲法改正を企図して、クーデタを図りました 情報源のサイトへ /tennin_l.jpg /rogo-c.gif
1971/12/9 超党派で、中国交回復促進議員連盟379人が発足し、会長に藤山愛一郎が就任しました。 情報源のサイトへ
1971/12/18 公害対策基本法の改正など公害関係14法が成立し、「経済との調和」条項が削除削除されました。 情報源のサイトへ /tb1.0.1.1.gif
1971/12/20 沖縄コザ市で、軍MPの交通事故処理に怒った市民5000人が車などを焼打ちし暴動化しました。ランバート高等弁務官は、「暴動は沖縄復帰を阻害、化学兵器を撤去しない」と特別声明を出しました 情報源のサイトへ
1971/12/21 屋良苗主席がランバート高等弁務官の特別声明に抗議しました。 情報源のサイトへ
1971/12/25 最高裁は、部下に天皇制の是非を問う書簡を出した鹿児島地裁の飯守重任所長を解任しました。 情報源のサイトへ
1971/12/26 アメリカは、ベトナムでの枯葉剤使用は翌春までと発表しました。 情報源のサイトへ
1971/12/30 愛知揆一外相は、駐大使マイヤーと会談し、ランバート特別声明を修正しました。 情報源のサイトへ
1972 久野忠治が北朝鮮を訪問する際、佐藤と口論になり「除名する」と告げられ、久野が理路整然と総裁の恣意で党を除名させることはできないことを指摘すると、テーブルを引っくり返しながら「馬鹿野郎」と怒鳴りつけ、ドアを蹴飛ばして出て行ったという。 情報源のサイトへ
1974 田中金脈問題、小野田少尉帰還、佐藤栄作にノーベル賞、長嶋引退、ニクソン辞任 情報源のサイトへ
1974 晩秋、田中首相のにまたがる金脈問題が騒がれ始める中、佐藤は非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を本人で初めて受賞した。その賞金は「国際連合 の下に設立された国連大学の発展に協力する等世界の平和と福祉の向上に資すること」を目的として佐藤栄作記念国連大学協賛財団に寄附され、国連大学の行う世界的課題の研究のうち、業績顕著なる者への褒賞として佐藤栄作賞が制定されている 情報源のサイトへ
1975 カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本の内閣総理大臣 | ノーベル平和賞受賞者 | 日本の国土交通官僚 | 日本の鉄道官僚 | 日本国会議員 | 日本の閣僚経験者 | 官僚出身の国会議員 | 山口県の政治家 | 冷戦に関わった人物 | 田布施町 | 1901年生 | 1975年没 情報源のサイトへ /28g81.jpg /15summit3.jpg
1975/6/16 日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」が行なわれた。葬儀委員長は当時の総理大臣三木武夫(当日に襲撃された)、遺族代表は岸信介であった 情報源のサイトへ /081008_04.jpg /yawataphoto_w180h180.jpg

あしたね年表について

このページのトップに戻る