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九州大学(きゅうしゅうだいがく)

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1867 大学設置年を九州帝国大学として独立設置された 情報源のサイトへ
1872 学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は 情報源のサイトへ
1872 8.-賛生館廃校 情報源のサイトへ
1874 賛生館の附属病院を新たに修猷館内に開設。 情報源のサイトへ
1874 12.3福岡県,旧藩校修猷館内に診察所を設置 情報源のサイトへ
1877 4.12東京大学創設〔文達12〕 6.25修猷館内診察所,東中洲に移転し福岡病院として開院 情報源のサイトへ
1877 診療所を福岡病院に改めると同時に博多中之島元製鉄練所跡に移転。 情報源のサイトへ
1879 福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる 情報源のサイトへ
1879 7.1福岡病院廃止,同所に福岡医学校を開設〔県達甲95〕。福岡医学校仮規則制定〔県達甲96〕 1.-東京大学医学士大森治豊・熊谷玄福岡医学校教師に着任 情報源のサイトへ
1880 1.10福岡医学校開校式 5.20福岡医学校職制章程並諸規則制定〔県達甲53〕 情報源のサイトへ
1881 4.5福岡医学校に薬舗学科設置,教則を制定〔県達甲39〕 情報源のサイトへ
1882 5.27文部省,医学校通則を制定,甲種医学校等の基準を提示〔文達4〕 情報源のサイトへ
1883 2.5福岡医学校規則制定〔県5〕 4.-福岡医学校,甲種医学校として認可 情報源のサイトへ
1884 7.14福岡医学校附属病院規則制定〔県50〕。 8.16福岡医学校に乙種薬学校設置,乙種薬学校規則を制定〔県54〕 情報源のサイトへ
1885 4.28福岡医学校教師大森治豊・池田陽一,ポポロ式帝王切開手術を行う 情報源のサイトへ
1886 帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり 情報源のサイトへ
1887 福岡医学校予算の全廃を決議。 情報源のサイトへ
1887 5.21学位令公布〔勅13〕。 7.6福岡下各郡有志,県立病院設立協議会を結成,福岡医学校の県立病院への改組を建議 情報源のサイトへ
1888 県立福岡医学校の廃止によって県立福岡病院に改める。 情報源のサイトへ
1888 以降地方税をもって支弁することを禁止,府県立医学校の廃止相継ぐ)。 情報源のサイトへ
1888/4/1 より同所に県立福岡病院を開院〔県8〕。 7.-県立福岡病院,医学士の県内巡回を始める 情報源のサイトへ
1889 2.11大日本帝国憲法発布。 6.18玄洋医会,『杏林之栞』を創刊 情報源のサイトへ
1890 10.3教育勅語発布。 情報源のサイトへ
1893 10.-福岡県立病院に看護婦養成所を設置。 情報源のサイトへ
1894 6.25高等学校令公布〔勅75〕(9.11施行)。 情報源のサイトへ
1896 6.22県立福岡病院,福岡筑紫郡千代村(現在の病院地区)に移転,診療を開始。 7.29県立福岡病院規則制定〔県118〕 情報源のサイトへ
1897 6.22京都帝国大学創設〔勅209〕,京都帝国大学官制公布〔勅211〕。 帝国大学高等官官等俸給令公布〔勅212〕 情報源のサイトへ
1898 12.10学位令全改〔勅344〕,博士会規則公布〔勅345〕。 情報源のサイトへ
1899 1.28修猷館長隈本有尚,福岡日日新聞に「九州大学と高等学校」を発表,福岡における大学設置運動の口火となる(以後,熊本長崎においても「九州大学」誘致運動)。 11.30福岡県会,九州大学設置に関する建議を可決 情報源のサイトへ
1901 3.29文部省外国留学生規程全改〔勅16〕。 9.25閣議,医科大学の一分科を設け,翌 情報源のサイトへ
1902 必要経費(37万5000円)を可決。 3.28臨時教員養成所官制公布〔勅100〕(4.1施行) 情報源のサイトへ
1902 から開始することを言明。 情報源のサイトへ
1902 からその一部を実施することを決定。 10.20福岡日日新聞,「九州大学を失ふ勿れ」を掲載 情報源のサイトへ
1903 京都帝国大学福岡医科大学として活動していた医科大学も九州帝国大学医科大学となりました。こうして、医科大学と工科大学をもった、東京京都東北に次ぐ四番目の帝国大学としての活動を開始しました 情報源のサイトへ
1903 3.25京都帝国大学福岡医科大学創設〔勅54〕。 京都帝国大学官制改正〔勅55〕(第2条「総長ハ其ノ職権ニ属スル事務ノ一部ヲ福岡医科大学長ニ委任スルコトヲ得」 情報源のサイトへ
1903/4/1 より開設し,医学科を置く)。 3.31「京都帝国大学法科大学医科大学及理工科大学講座ノ件」公布〔勅68〕(京都帝国大学福岡医科大学における講座の種類およびその数が定められる 情報源のサイトへ
1903/9/16 9月16日)。 情報源のサイトへ
1904/10 戦争始まる。 2.29内務省より福岡医科大学敷地として2478坪790の所管換を受ける 情報源のサイトへ
1905 3.-附属医院東九病棟286坪938,同十病棟248坪875,臨床講義室741坪813竣工。 10.-福岡医科大学基督教青年会を設立 情報源のサイトへ
1906 福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって 情報源のサイトへ
1906 1.-衛生学,法医学教室827坪75竣工。 7.16附属医院長委任条件を制定 情報源のサイトへ
1907 1.31衆議院予算委員会第1分科会,工科大学の設立を可決。 3.25帝国大学特別会計法〔法19〕,帝国大学特別会計規則〔勅53〕,帝国大学経理委員会規則〔勅54〕公布 情報源のサイトへ
1907 より施行)。 3.27福岡医科大学学位授与資格審査内規を制定 情報源のサイトへ
1907/9 東北帝大理科大学新設 情報源のサイトへ
1908 2.-福岡医科大学消費会を設立。 3.16特待生制度を設置 情報源のサイトへ
1909 6.14福岡医科大学集談会を設立。 情報源のサイトへ
1910 福岡医科大学と新設の工科大学の2分科大学をもって九州帝国大学として創設された。 情報源のサイトへ
1910 9.2初の外国人留学生,医科大学准学生として入学を許可される。 9.-精神病学教室948坪305竣工 情報源のサイトへ
1911 九州帝国大学医科大学附属医院に改める。 情報源のサイトへ
1911 3.18九州帝国大学工科大学に土木工学,機械工学,電気工学,応用化学,採鉱学,冶金学の6学科を置き, 情報源のサイトへ
1911 設置された。大学の略称は九大(きゅうだい) 情報源のサイトへ
1911/1 九州帝国大学としてスタートしました。この時、工科大学が設置され 情報源のサイトへ
1911/1/1 九州帝国大学が設立された。残りの4割は札幌農学校の東北帝国大学農科大学昇格 情報源のサイトへ
1911/1/1 より開設)。工科大学の事務は当分の間文部省内において取り扱うこととなる〔文242〕 情報源のサイトへ
1911/4 これより 情報源のサイトへ
1911/4/1 より大学内で取り扱うこととなる〔文97〕。 3.31九州帝国大学官制公布〔勅43〕(九州帝国大学に総長・事務官・学生監・書記を,分科大学に教授・助教授・助手・書記を置き,このほか各分科大学に学長を,医科大学附属医院に医院長・薬局長・薬剤手を置く 情報源のサイトへ
1911/9/11 から授業開始〔文省11〕。 3.23帝国大学特別会計法改正〔法22〕(東京京都両帝国大学に東北九州の両帝国大学が加えられる) 情報源のサイトへ
1919 学部を中心に歴史を振り返りますと、1919年 情報源のサイトへ
1919 九州帝国大学医学部附属医院に改める。 情報源のサイトへ
1919 (大正8)九州帝大の両分科大学は医学部、工学部となり、新たに農学部が増設された。 情報源のサイトへ
1924 生の松原分院設置。 情報源のサイトへ
1924 法文学部、そして 情報源のサイトへ
1931 大分県別府市に温泉治療学研究所設置。 情報源のサイトへ
1939 (昭和14)理学部が加わり総合大学として発展した。第二次世界大戦後は、旧制福岡高等学校、久留米(くるめ)工業専門学校を合併し 情報源のサイトへ
1939 理学部が設置され、人文社会、理工農医の学部を持つ総合大学としての九州大学の形が整います。その後、戦後の教育改革によって 情報源のサイトへ
1944 施行)。九州帝国大学工科大学官制公布〔勅449〕(明 情報源のサイトへ
1947 帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称した。 情報源のサイトへ
1949 (昭24) 情報源のサイトへ
1949 九州大学医学部附属病院に改める。 情報源のサイトへ
1949 (昭和24)新制の国立九州大学となった。それに伴い、法文学部は法学、経済学、文学の3学部に改組され、教育学部が新設された 情報源のサイトへ
1949 法学部、経済学部、文学部、教育学部が 情報源のサイトへ
1950 から用いられるようになった、宗好秀による学生バッチの図案を基にして 情報源のサイトへ
1950 新制八幡大学としての法学部発足時は関西以西の西日本地区に於いて九州大学に次いで法学部を擁していた。建学の精神は人材の育成と共に実学の尊重・塾的精神であり、それらを基盤とした法の運用・実践の面での学究的成果を目指し、これまで多くの法曹家・法学者を育成してきた 情報源のサイトへ
1951 廃止)が置かれた。 情報源のサイトへ
1955 第一分校との統合により廃止)が設置され、旧陸軍歩兵第四十八連隊兵舎跡に第三分校 情報源のサイトへ
1955 第二分校と統合し九州大学分校 情報源のサイトへ
1961 (昭36) 情報源のサイトへ
1963 (昭38) 情報源のサイトへ
1964 温泉治療学研究所附属病院設置。 情報源のサイトへ
1964 薬学部が 情報源のサイトへ
1967 歯学部が設置されています。また 情報源のサイトへ
1967 歯学部の増設によって、10学部(文学、教育、法学、経済、理学、医学、歯学、薬学、工学、農学)体制となった。 情報源のサイトへ
1967 生の松原分院を胸部疾患研究施設内科と改める。歯科口腔外科が歯学部として独立し歯学部附属病院設置 情報源のサイトへ
1967/10 上旬に体育祭が行われる。 情報源のサイトへ
1968 芸術工学部の前身である九州芸術工科大学が開設。 情報源のサイトへ
1971 医療技術短期大学部が併設された 情報源のサイトへ
1971/10 九州大学産業労働研究所助手 情報源のサイトへ
1972/3 まで) 情報源のサイトへ
1973 胸部疾患研究施設内科が生の松原における診療を廃止し、本院地区に統合。 情報源のサイトへ
1974 胸部疾患研究施設内科を呼吸器科に改める。 情報源のサイトへ
1975 卒業 情報源のサイトへ
1979 から学記念行事の一つとして、図書館および学内の各部局で所蔵する資料から選定して、貴重資料展示会(「貴重文物展観」と称した)を催してきました。この展示会は、地域の皆様に九州大学の貴重資料を公する事業として、これまで四半世紀に渡って催しています 情報源のサイトへ
1979 学部をもたない新しいタイプの独立大学院として、総合理工学研究科が 情報源のサイトへ
1979 アメリカ合衆国ペンシルベニア大学医学部耳鼻咽喉科 情報源のサイトへ
1979/5 中旬に10日間程度催している。利用対象者 特に限定なし入場料など 無料住所 福岡県福岡市東区箱崎 情報源のサイトへ
1980 (昭55) 情報源のサイトへ
1980 から 情報源のサイトへ
1980/10 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
1981/4 九州大学経済学部助教授 情報源のサイトへ
1982 温泉治療学研究所及び医学部附属癌研究施設を改組・統合して生体防御医学研究所を設置し、温泉治療学研究所附属病院は生体防御医学研究所附属病院となる。 情報源のサイトへ
1982 宮崎医科大学 耳鼻咽喉科 助手 情報源のサイトへ
1982 (第 6回大会)139.70m第2位 情報源のサイトへ
1983 九州大学医学部耳鼻咽喉科 助手 情報源のサイトへ
1983 (第 7回大会)137.68m第3位 情報源のサイトへ
1984 佐賀医科大学付属病院研修医(耳鼻咽喉科)     情報源のサイトへ
1984 (第 8回大会)122.15m第5位、奨励賞 情報源のサイトへ
1985 共著) 情報源のサイトへ
1985 共著) 情報源のサイトへ
1985/10 九州大学法学部助教授 情報源のサイトへ
1986 『赤い川−知られざる信州の鉱害』(第三書館, 1986年) 情報源のサイトへ
1986 (第10回大会)11.65m- 情報源のサイトへ
1986 佐賀医科大学医学部大学院     情報源のサイトへ
1987 (昭62) 情報源のサイトへ
1987 (第11回大会)109.42m滑空機部門第8位、奨励賞 情報源のサイトへ
1987/4 九州大学法学部助手 情報源のサイトへ
1988 九州大学法学部教授 情報源のサイトへ
1988 (第12回大会)20.45m- 情報源のサイトへ
1989/10 九州大学経済学部教授 情報源のサイトへ
1989/11 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
1990 佐賀医科大学耳鼻咽喉科助手     情報源のサイトへ
1990 (第14回大会)-滑空機部門中止 情報源のサイトへ
1990/3/31 九州大学医学部医学科卒業 情報源のサイトへ
1990/4/1 医員(研修医)(九州大学医学部附属病院第2外科、救急部) 情報源のサイトへ
1991 キャンパスの統合移転計画が決定すると 情報源のサイトへ
1991 共訳) 情報源のサイトへ
1991 『ハポン−フィリピン日系人の長い戦後』(第三書館, 1991年) 情報源のサイトへ
1991 因京子・松村瑞子(編)『 情報源のサイトへ
1991 (第15回大会)134.80m滑空機部門第10位 情報源のサイトへ
1992 (直通) 情報源のサイトへ
1992 WEB http://www.agr.kyushu-u.ac.jp/agpm/konchuu/周辺の観光情報 情報源のサイトへ
1992/4/1 九州大学大学院医学系研究科博士課程(外科系)入学 情報源のサイトへ
1993 (第17回大会)22.45m- 情報源のサイトへ
1993 九州大学医学部耳鼻咽喉科 助教授 情報源のサイトへ
1993/2 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
1994 教養部を廃止する。 情報源のサイトへ
1994 (第18回大会)139.36m滑空機部門第8位 情報源のサイトへ
1994 共著) 情報源のサイトへ
1994 (平成6)には比較社会文化研究科、数理学研究科が 情報源のサイトへ
1994 医学博士 九州大学大学院 1994年 情報源のサイトへ
1995 ニューヨークロックフェラー大学神経生理学     情報源のサイトへ
1995 共著) 情報源のサイトへ
1995 (第19回大会)189.01mレディース部門優勝 情報源のサイトへ
1996 共著) 情報源のサイトへ
1996 (第20回大会)185.31mレディース部門第2位、奨励賞 情報源のサイトへ
1996 システム情報科学研究科が 情報源のサイトへ
1996/3/28 九州大学大学院医学系研究科博士課程(外科系)修了 情報源のサイトへ
1997 (第21回大会)-台風のため中止 情報源のサイトへ
1997 倭人の形成(1997年) 情報源のサイトへ
1997 医学系研究科および工学研究科から大学院重点化開始。 情報源のサイトへ
1997 (3)「ローカル・オーソリティの国際法主体性」『国際社会の近代と現代』(九州大学出版会、1997年) 情報源のサイトへ
1997 ロンドン大学生理学 senior research fellow 情報源のサイトへ
1997/6 北九州市立医療センター耳鼻咽喉科 情報源のサイトへ
1997/11/1 リサーチアソシエート(連合王国(英国ロンドン大学インペリアルカレッジ医学部遺伝子治療学講座:Duncan Geddes教授、Eric Alton教授) 情報源のサイトへ
1998 「改革の大綱案」を定め、優秀な研究者の養成と研究レベルの向上を目的とする大学院重点化を行い 情報源のサイトへ
1998 教育学研究科が人間環境学研究科に改組・新設された。 情報源のサイトへ
1998 Chinami, Kyoko“An Analysis of the Meaning and Usages of the S + No Desu Construction"『英語学の視点』319-52、九州大学出版会 情報源のサイトへ
1998 雲仙普賢岳の噴火とその背景(1998年) 情報源のサイトへ
1998 (第22回大会)34.76m- 情報源のサイトへ
1998/3 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
1999 (第23回大会)184.95m滑空機部門第4位 情報源のサイトへ
1999 宮崎大学医学部耳鼻咽喉科 講師 情報源のサイトへ
1999 医学の歩み(1999年) 情報源のサイトへ
1999/5/1 文部教官 九州大学助手 医学部附属病院(病理部) 情報源のサイトへ
2000 設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される 情報源のサイトへ
2000 『観光コースでないフィリピン−歴史と現在・日本との関係史』3刷(高文研, 2000年) 情報源のサイトへ
2000 因京子・アプドゥハン恭子・池田隆介・土居克実・古屋忠彦『生物学への招待』1〜112ページ、九州大学留学生センター 情報源のサイトへ
2000 森・水・人(2000年) 情報源のサイトへ
2000 米国MD Anderson Cancer Center にてpost-doctoral fellow 情報源のサイトへ
2000/4 九州大学大学院人間環境学研究院助教授 情報源のサイトへ
2001 『観光コースでないグアムサイパン』(高文研, 2001年) 情報源のサイトへ
2001 (3)「ケア・正義・自律とパターナリズム」中山 將・高橋隆雄 編『ケア論の射程』(九州大学出版会、2001年) 情報源のサイトへ
2001 /img/uhdChnk.png) -33px -67px no-repeat !important;/*\*//*/width:137px !important;height:16px !important;/**/} 情報源のサイトへ
2001 進化の舞台の主役と脇役(2001年) 情報源のサイトへ
2001/3 代表者:因京子、分担者:日下みどり・松村瑞子(九州大学言語文化研究院)2.『マンガを素材とする異文化理解教育の方法開発』 情報源のサイトへ
2002 (第26回大会)-書類審査不合格 情報源のサイトへ
2002 改組により医学部保健学科となる)。大学院は全学部に設置され 情報源のサイトへ
2002/3 医学博士学位取得(九州大学形態機能病理) 2002年3月 情報源のサイトへ
2002/5 国立病院九州医療センター耳鼻咽喉科 情報源のサイトへ
2002/10 九州大学法学研究員助教授。 情報源のサイトへ
2002/12/21  13:00より 情報源のサイトへ
2003 国立大学法人化を視野に入れ、法律第29号により九州芸術工科大学を吸収。 情報源のサイトへ
2003 九州大学のオリジナルグッズ 情報源のサイトへ
2003 文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択された。 情報源のサイトへ
2003 (2)「成年後見制度の成立と課題」(二塚・嵯峨編『高齢社会・どう変わる、どう生きる』、九州大学出版会、2003年) 情報源のサイトへ
2003 共著) 情報源のサイトへ
2003 九州大学と統合して、芸術工学部となる九州芸術工科大学が設置されています。そして 情報源のサイトへ
2003 因京子・三浦香苗『Introduction to Basic Japanese Grammar』(英文)1〜221ページ、九州大学留学生センター 情報源のサイトへ
2003 医学部附属病院、歯学部附属病院、生体防御医学研究所附属病院を統合し、現名称になる。生体防御医学研究所附属病院を別府先進医療センターに改組 情報源のサイトへ
2003 絶滅に瀕する野生生物たち(2003年) 情報源のサイトへ
2003 熊本学園大学社会福祉学部教授、九州大学名誉教授 情報源のサイトへ
2003 ロサンゼルス市 House Ear Institute postdoctoral scientist 情報源のサイトへ
2003/6/1 文部科学教官 九州大学講師 医学部附属病院(病理部) 情報源のサイトへ
2003/10 九州芸術工科大学と統合、新たに芸術工学部、大学院に芸術工学府、芸術工学研究院ができた。 情報源のサイトへ
2003/11/30 度から、17番目の大学院学府として、統合新領域学府がスタートしました。 情報源のサイトへ
2004 採択)協定大学 情報源のサイトへ
2004 因京子・ジラジランチャイ、アンカナー・金宥景・山路奈保子 『研究留学生の日本語 応用練習問題集』1〜64ページ、九州大学留学生センター 情報源のサイトへ
2004 21世紀COEプログラム 情報源のサイトへ
2004 新たに制定されたもので、商標登録されている。この他にKUやQを図案化したものなどがある[1] 情報源のサイトへ
2004 採択) 情報源のサイトへ
2004 ワークショップ報告書, 京都大学国際交流センター, 情報源のサイトへ
2004 (第28回大会)34.96m滑空機部門第6位 情報源のサイトへ
2004 倭人伝の道と北部九州の古代文化(2004年) 情報源のサイトへ
2004/1 号‐ 情報源のサイトへ
2004/8/22  13:30より 情報源のサイトへ
2004/9 九州大学病院耳鼻咽喉科(助手) 情報源のサイトへ
2004/10 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
2004/10/1 国立大学法人九州大学助教授(基礎医学専攻、病理病態学領域) 情報源のサイトへ
2005 1970年代には筑紫キャンパス(春日市大野城市)への全面移転が計画されたが、実現しなかった。その後新たに計画が策定され、平成17年度 情報源のサイトへ
2005 (第29回大会)37.67m- 情報源のサイトへ
2005 第4回P&P研究成果(2005年)  情報源のサイトへ
2005 (1)『情報とインセンティブの経済分析』(九州大学出版会、2005年) 情報源のサイトへ
2005 因京子「女性語のゆくえ:絆として鎧としての女性語の可能性」『言語文化叢書XV:言語と文化のジェンダー』30−45、九州大学大学院言語文化研究院 情報源のサイトへ
2005 九州大学所蔵標本資料展1自然界のなかまたち(2005年) 情報源のサイトへ
2005 歴史的ということの2番目は、皆さんは、伊都キャンパスで全学教育を受講する最初の学生であるということです。九州大学は、2005年 情報源のサイトへ
2005 因京子 『マンガで学ぶ日本語:日本の名作マンガ』1〜42ページ、九州大学留学生センター、200 情報源のサイトへ
2005/3 九州大学大学院法学研究院助教授 情報源のサイトへ
2005/8/30 度末には六本松キャンパスが移転して、いよいよ新入生の皆さんを迎えることになりました。本年 情報源のサイトへ
2005/10 工学系の半分が移転し 情報源のサイトへ
2005/10 数学系も伊都に集結します。伊都キャンパスは、学生教職員併せて約12,000人が学び、研究し、働く、九州大学で最大のキャンパスとなりました 情報源のサイトへ
2005/10/1 よりまず工学部機械航空工学科・物質科学工学科とその関連大学院を対象に開講した。しかし完成していない部分も多く、同学科が利用する棟においても室内工事等は同日以降も続けられていた 情報源のサイトへ
2005/12/7 水素ステーションの試運転中に酸素パイプ破裂事故が起こった。 情報源のサイトへ
2006 秋から1棟が供用されている。 情報源のサイトへ
2006 付置研究所として、生体防御医学研究所、応用力学研究所、先導物質化学研究所のほか、鉄鋼リサーチセンター、熱帯農学研究センターなど多くの特色ある研究施設を有する。本部は福岡市東区箱崎6/10/1。 情報源のサイトへ
2006 九州大学中央図書館 他各分館分室 情報源のサイトへ
2006 「『東アジア共同体』構想の行方−近隣諸国が日本に求めるもの」(『国際理解』37号, 2006年) 情報源のサイトへ
2006 共著) 情報源のサイトへ
2006 「『ダバオ国』の沖縄人社会再考−本土日本人, フィリピン人との関係を中心に」(『移民研究』2号, 2006年) 情報源のサイトへ
2006 九州大学医学部耳鼻咽喉科 助教授 情報源のサイトへ
2006/1 うちにキャンパス同士を移動して授業を受けなければならないが、完全にキャンパス統合が完了すればこのような非効率性が解消されることになる。また航空機の騒音がなく、快適な環境での研究が可能である 情報源のサイトへ
2006/5/1 (兼任)国立大学法人九州大学教授(特任、消化器総合外科学付)【学会活動等】 情報源のサイトへ
2006/9/30 度中に残りの工学系とシステム情報科学系が移転を完了しました。そして 情報源のサイトへ
2007 フィリピン日系人の市民権とアイデンティティの変遷—戦前期の二世誕生から近年の日本国籍『回復』運動まで」(『移民研究年報』12号, 2007年) 情報源のサイトへ /182takama.jpg
2007 共著) 情報源のサイトへ
2007 (旧)六本松地区 情報源のサイトへ
2007 Regaining‘Japaneseness’: The Politics of Recognition by the PhilippineNikkeijin(Asian Studies Review, Vol. 31 2007年) 情報源のサイトへ
2007 から当院先端医工学診療部と連携し側頭骨ナビゲーション手術の研究、開発、手術を行っています。 情報源のサイトへ
2007 「越境するポップカルチャーと<アジア人>アイデンティティ — 九州大学でのシンポジウムとでのフィールドワークを通して考える」(『九州大学アジア総合政策センター紀要』2号, 2007年) 情報源のサイトへ
2007 共著) 情報源のサイトへ
2007 工学系キャンパスを移転させる。あわせて理系図書館と食堂・寄宿舎の整備も行う 情報源のサイトへ
2007 日本語会話資料集』1−302ページ、九州大学比較社会文化学府 情報源のサイトへ
2007 (第31回大会)241.56m滑空機部門第5位 情報源のサイトへ
2007/2 医学博士学位取得 情報源のサイトへ
2007/4 九州大学法科大学院准教授。株式会社はACCESS取締役、福岡キャピタルパートナーズ社外取締役兼務、現在に至る 情報源のサイトへ
2008 までに計27回滑空機部門に出場しており 情報源のサイトへ
2008 現在、文・教育・法・経済・理・医・歯・薬・工・芸術工・農の11学部体制。また大学院には人文科学府、人間環境学府、数理学府、医学系学府、総合理工学府など17の学府と比較社会文化研究院、法学研究院、言語文化研究院、システム情報科学研究院、農学研究院など16の研究院が置かれている 情報源のサイトへ
2008 までは六本松地区で開催されていたが 情報源のサイトへ
2008 共著) 情報源のサイトへ
2008 共著) 情報源のサイトへ
2008 国際シンポジウム報告書『グローバル化する看護と介護—医療・福祉分野への外国人労働者参入をめぐって』(九州大学アジア総合政策センター, 2008年, 情報源のサイトへ
2008 ウエストウイング開院。 情報源のサイトへ
2008 因京子『異文化理解・上級日本語教材 マンガで読む日本社会:働く女性たち 指導者用解説』1−67ページ、九州大学留学生センター 情報源のサイトへ
2008/10/10  14:00より 情報源のサイトへ
2009 現在、「九大祭」と「芸工祭」がある。 情報源のサイトへ
2009 エスニック・マイノリティが支える多民族社会の高齢者ケア—カリフォルニアの施設事例が日本に示唆するもの』(『九州大学アジア総合政策センター紀要』3号, 2009年) 情報源のサイトへ
2009 平野[小原]裕子・川口貞親との共著) 情報源のサイトへ
2009 九州大学入学式情報源のサイトへ
2009/3 閉鎖された田島寮はこの地区(樋井川対岸の城南区田島)にあり初年度の学生の便宜を図っていた。全学教育科目、比較社会文化学府/研究院は 情報源のサイトへ
2009/4 熊本学園大学教授、九州大学名誉教授 情報源のサイトへ
2009/4/7 平成21年4月7日 情報源のサイトへ
2009/5 看護師宿舎本館跡駐車場設置。 情報源のサイトへ
2009/9 新病院棟が完成した。総工費一千億円、着工より 情報源のサイトへ
2009/9 馬出保育所(仮称)新営工事。 情報源のサイトへ
2009/9/18 新外来棟横立体駐車場の建設工事。 情報源のサイトへ
2009/9/29 六本松キャンパスの閉校式が行われ 情報源のサイトへ
2009/10 設立。九州大学出身でノーベル賞候補に上げられている新海征治(応用化学)、笹月健彦(遺伝学)両名誉教授には、希望に応じて研究室や研究員などが与えられる 情報源のサイトへ
2009/10/1 第2期の竣工開始。図書館と数理学研究教育棟(六本松地区より移転) 情報源のサイトへ
2009/10/27 現在)。 情報源のサイトへ
2009/11 下旬に伊都地区で行われるイベントで、旧九大の流れを汲んでいる。 情報源のサイトへ

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